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D's Talk session #04 with 高瀬康一

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〜を聴けなくなること:かのアインシュタイン曰く「私にとって死とは…モーツァルトが聴けなくなること」
《don't answe

D:ポップスとロックの違いは匿名性というか…ロックはそのパフォーマが自分の生き様や歌う背景をひっくるめて評価してナンボじゃない、でもポップスは裏方=作り手は、自分らのことなんかどうでもいいから仕上がった曲を聴いてくれ/買ってくれ…どうだい、いい曲だろ? という感じ、ない?

T:ある意味ロックよりもずっとプロフェッショナルですよね。

D:職業ライター (笑)。実にプロ。

T:ロック好きは人間に興味を持ちますよね、たとえばジョンはどういう人間か、何を思っているんだろうとか。でも僕はそれがなかったなあ、曲なんですよね。やってる人間じゃなくて曲、…だからそのシステムに興味が向かいますよね。ライター、アレンジャー、プロデューサー…。

D:オレもその口でね。ブライアン・ウィルソン…死ぬほど好きですよ、そりゃ。でもその〝人となり〟にはまったく興味無し。会いたくもなし。【Today】を作ってくれただけで感謝してるけど。オレにとっては〝死とは…ビーチボーイズを聴けなくなること〟*なんで (笑)。

T:はあ (笑)。でも選択する能力には興味、いきません? テイクが二つあったときにこっちでOKといいきる価値観、それがどこから来てるのかなという…。選択能力に才能があると思うんですよ。でも人間というより根源的な資質で、けしてライフスタイルじゃない。

D:トッド・ラングレンもそれってすごくあると思わない?

T:そうですね、プロデューサー的資質は凄いモンがあると思います。と同時にシンガーソングライターとして美メロも書けるしヴォーカリストとしても凄い…。

D:ギタリストでもあるし。特異な才能だよね。ある意味変人、スペクター寄りの (笑)。

T:究極的に飽きやすい人とも思うんですよ。ちょっとやってはすぐ飽きて次ぎにいきたくなる。

D:追いかけがいはあるけどね…、ただユートピアの初期なんか〝こいつ、一度殺したろか!〟ぐらいの気分になった (笑)。

T:僕もです。何枚騙されたことか…。最近も、カーズにリック・オケイセックのかわりに入るって…なに考えているんだか… (笑)。

 

T:80年代にMTV時代が来てロック畑のミュージシャンも彼らのティーンエイジというか、オールディーズっぽいカラーが目立ってきたんですよね。フィル・コリンズのモータウンカバーやビリー・ジョエルの《uptown girl》《the longest time》、エイジアもイエスすらポップな楽曲を歌う…やっぱり僕の趣味はこっちなんだと思いました。ロンバケで開いた扉なんでその大滝の過去も戻ろうかと…。お決まりに〝ナイアガラー〟になりかかったんですが…。

D:しかし戻った先の「オフザケ路線」にはかなり…。

T:かなり…戸惑いましたね (笑)。

D:大嶽さんと話したことなんだけど、逆に順を追ってロンバケまで来たオレらは「な〜んだ、マジに歌えるじゃん!」だったんだよな。

T:オフザケ路線が大滝さんの地なんだとわかるまでちょっと時間、かかりました (笑)。それからは【多羅尾伴内楽団】も【ナイアガラムーン】も楽しめるようになりました。

なんだかんだいって80年代は美メロの時代じゃないですか。ホール&オーツにしても70年代で出会うよりも80年代の一気に花開いたところで聴けたほうが良かったと思うし…。

D:そうねえ、アトランティック時代の…【アバンダンド・ランチョネット】とかが最初だったら…悪い盤じゃないけど、ちょっとねぇ。

T:60年代に中坊だったダリル・ホールやビリー・ジョエルが80年代の油が乗った時期に当時へのオマージュのような曲を作り歌う、それを中坊の僕が聴いて感動して60年代へ興味を持つという巡り合わせかな、これが良かったように思いますね。ただ87年ごろからそれもなくなってきて…音楽が変わってきましたよね。ヒップホップとか…。

D:ダンサブルな曲…、ダンスの時代になったよね。

T:そこからは、じゃあオレはオリジナル=60年代ポップスを聴けばいいヨって気持ちになりましたよ。 

D:70年代がすっぽり抜けるんだ…、オレの時代なんだけどなあ (笑)。

T:そこは僕は語る知識もないから…奥山さんが頑張って書いてください (笑)。

ビリー・ジョエルの《uptown girl》、アラン・パーソンズ・プロジェクトの《don't answer me》*の2曲、これが決定打でしたね。これって何かと思ったらレコードに書いてあるんですよ、フォーシーズンズとフィル・スペクターって (笑)。ならば行く道はきまったゾ、と。道しるべになりましたね。

 

T:ビートルズが出てきて自作があたりまえになりますよね、64年ごろかな、そうなると良くも悪くも自意識が強いわけでそこからロックの時代になりますよね。それまでのポップス王道は〝売れるか売れないか〟だけが尺度、そこにいわば命かけて作っていたわけでしょ、そのほうが面白く感じたんですよ。

レオン・ラッセルが、《a song for you》みたいに泥臭く自己陶酔っぽく歌った時期から数年前にはゲイリー・ルイス&プレイボーイズの裏でやっていた事実ですかね、ポップな仕事をやっていたことのほうが興味がわくし…何を思ってやっていたかとか。アル・クーパーは《恋のダイヤモンドリング》じゃないですか、その側面ですね。

D:思うんだけど、ニューヨークで音楽をやっていくということはティンパンアレイで認められなければならなかったんじゃないかな。スティーリー・ダンといえば70年代ロックの最高峰に位置するバンドなんだけど、とっかかりはティンパン系のジェイ&アメリカンズ、そのツアーメンバーだっけ? 裏方修業からが始まりじゃない。

T:ドナルド・フェイゲンはソロ盤でティンパン楽曲《ruby baby》やってましたよね。

D:キャロル・ベイヤー・セイガーとかルーパート・ホームズとかも、その名前が世に出てくる以前にパートリッジ・ファミリーに曲を提供していたり…。もちろんニール・ダイアモンド、ニルソンとかもね。

直接の関わりは分からないけれど、ローラ・ニーロとかフェリックス・キャバリエなんかも60年代にはどうにかティンパンに潜り込もう、そうしなければニューヨークの音楽業界では食っていけないと思っていたんじゃないかな。イタロ・ニューヨーカーの輪があって実はディオンの生家は隣近所…なんてことだってあったかもしれないし。

当たり前だけど、70年代にシンガーソングライターとしてバ〜ンと出てきたメンツにしても修業の60年代、ポップスに絡んでナンボだった時代はあったということだよね。まあ本人らはそこは語られたくはないだろうけど… (笑)。

T:そこで僕や奥山さんは、その60年代掘り下げ癖がついてしまっている…とか (笑)。

D:キャロル・キング、本名はキャロル・クラインか? …キャロルとニール・セダカやポール・サイモンがニューヨークの街角で何していたか、想像するだけで面白いモンね。

T:60年代と70年代が音楽的につながっていることをしっかり語ってくれる人がいませんよねえ…。女/子ども相手のポップスが消えて、それからロック時代が来た…音楽ジャーナリズムとしてはハッキリ分けたいんでしょうね。

D:スティーリー・ダンのレコで活躍した…知る人ぞ知るギタリストがエリオット・ランドール。オレはランドール盤のコレクターなんだ。そのソロの3枚目は、レーベルが Kirshner …ドン・カーシュナーがアルドンをやめて70年代に興したレーベルでさ、プロデュースがシーゲル&メドレス、つまりトーケンズなんだよね。もろティンパンでしょ。

T:ビリー・ジョエルがね、15歳のときにシャングリラの《leader of the pack》でピアノを弾いたって言い張るんですよ、どう思います? (笑)

D:言ったもん勝ちでしょ… (笑)。

 

 

 

 

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