Page 1 < > page 2 |
||||
D(以下denny):豊橋の生まれでしたよね、大嶽さんは。うちの田舎…といっても兄弟は東京生まれですけど、おやじとお袋が豊橋から飯田線で北上した山の中の出なんで、爺さん婆さんがいた田舎ではあるんですよ、我が家の…。豊橋はガキん時からの馴染みです (笑)。…で、大嶽さんはいつ東京へ?
O(以下大嶽):79年だったかな、23の時。
D:東京の…デザイン事務所へ入った?
O:そうそう。豊橋のちっちゃなデザイン事務所にいたんだけど、伝手というか…人手が欲しいという話に乗って。当時神谷町にあった事務所へ勤めだした。
D:さっきの話でやっぱり大嶽さんもスペクターを知ったのは大滝詠一からと言っていたましたね。まあオレもその口というか…とにかく事あるごとにスペクターを語っていた大滝先生だったわけだけど、大嶽さんが「よし、スペクターを追ってみるか」という気分になったのは東京へ来る前? それとも来た後のこと?
O:前だね。シリア・ポール盤のクレジットにも「フィル・スペクターへ捧げる」とかあってさ、とにかくどういう人なんだろうって興味がまず湧いたよね…。
D:それでも買い始めはこっちへ来てからで、最初にパイド*でリイシューを買った… Phil Spector International の盤。
O:そう、英国盤の【クリスマス】だったね。
D:なんで、パイドだったの?
O:たぶん…雑誌広告じゃないかな。あの頃は喫茶店みたいのが併設されてたね。レコ棚にはスペクターコーナーがあったけどそこには【クリスマス】1枚しかなかった (笑)。
D:それを買って帰ったと。聴いてみてどうでした?
O:まあイメージだけがふくらんでいたスペクターだけど、なるほどこんな音なのかと。
D:で、勤めていたデザイン事務所へ出入りしていたイラストレーターが於市さんで…於市さんはかなりのコレクターだったからいろいろ教わったわけね?
O:そうだね。当時はもう集めるなら中古をまめに探すしかないと…。
でも僕は中古盤店がなんか敷居が高くてさ、コアな人が集まる場所として腰が引けてたね。
D:なるほどね。…それでも集めるならばそこしかないと。で、どこだっけ?
O:西新宿のえとせとら。当時はレーベルのデザインすら知らなかったので、もー大変。
D:えとせとらでクリスタルズのオリジナルシングルを買ってみたのが1枚目ですな。
O:【ロングバケーション】ていつだっけ?
D:え〜と、82年? それくらいじゃなかった?
O:僕にとってはあそこまでが大滝詠一なのね。あれを買ったところまで。
D:まあオレもそうだよ。
O:でも世間では【ロンバケ】から始まった人が圧倒的に多いじゃない。
D:それでもそこから大滝マニアはナイアガラへ戻っていったわけでしょ? いけばはっぴい(えんど)までも…。
O:僕はそこからスペクターへと行ったんだね。
D:さっきの話だと…勤務先のデザイン事務所へ出入りしていたイラストレーターが於市さんであったわけね。於市さんから聞いて大阪の Forever レコードへ行ってみたんだっけ?
O:店長の藤本さんから、もう少し前までは(スペクター)コーナーがあって結構あったんやけどと言われて…。それでも皆無じゃなかったから何枚か買えた。宮下コレクション*も見せてもらえたしね。
D:あの伝説の宮下コレクションですな。じゃあそこで初めて、ほんとにコアなオールディーズコレクションの世界/コレクターの世界に触れたってことね?
O:うん。でも僕はもともとオールディーズは好きだったのよ。"Oldies but Goodies" シリーズとかを何枚か買っていたし。
D:もともとアメリカンポップス趣味ってのは聴き始めから持っていたわけ? リアルタイムでは…オレとほぼ同じだし、時代的には「ロック」世代でしょう。
O:でもコニー・フランシスやミッチ・ミラーなんか…子どもの時の音ってのがずっとあったんだよね。
D:そんな古い世代でもないでしょ?
O:うちにレコードプレイヤーがなかったのね、中学の二、三年まで。レコードを買えなかった。
D:GSのシングルとかも買ってない?
O:そういうリアルタイムの音よりもほんとうに小学生時代とかのポップス…ラジオから聴いたやつね、それを引きずっていた…かな。ケーシー・リンデン《悲しき16歳》とかコニー・フランシスの《カラーに口紅》とか。
D:そうかあ、70年前後から〝ロック〟にどっぷり浸ったオレとはそこはずいぶんと違うね。リアルタイムなレコードコレクションの初めがいきなり過去盤を買うということだったんだ、大嶽さんの場合は。
O:その時の流行りモノには興味がなかったね。
D:うちは…兄キがいたせいだけど、ビートルズのシングル《レディ・マドンナ》《ペイバーバック・ライター》…ストーンズなんかもあったなあ。重い天板を上にがばっとあげる家具調プレイヤー (笑)…おやじが買ったモノ、それで聴いてた。
O:僕は、最初に買ったレコードはラロ・シフリンの《スパイ大作戦》のEP盤(4曲入りのコンパクト盤)…。しばらく映画音楽ばかり買っていたね。
D:なるほど、なんとなく分かるなあ、大嶽さんの趣味が。
O:大滝詠一に興味を持ったのは兄キが借りてきた盤、はっぴいえんどの3枚目、そのなかの《外はいい天気》がちょっとノスタルジックじゃない? いい曲だなあと思ったのが最初だね。こういう曲を書くのってどういう人かなとね。
D:ポップス然としたメロディー重視な曲に惹かれたわけだ。その後の大滝…ナイアガラはリアルタイムで聴いたわけでしょ?
O:そうだね。
D:そこで…大滝がスペクター、スペクターとあんまり言うもんだから…。
O:書いてたね。
D:そうだね。それはオレもリアルタイムにあったわ。
O:『ゴーゴーナイアガラ』のテーマが《Dr.Kaplan....》 とかさ。
D:オレはあれがスペクターのシングルって最近まで知らなかった (笑)。それくらい疎いんだけどさ。誰だっけ?
O:《why do lovers break each others' hearts?》、ボビー・ソックス(&ブルー・ジーンズ)のB面。
僕は二十歳すぎてからレコード店を回り出した…かなり出遅れたほうだったけどね。
D:それでもスペクターアイテムを集められたのは…海外から直に通販という手段が分かったからだよね?
O:76年にビクターから出た【ウォール・オブ・サウンド・シリーズ】6枚シリーズもの、もう少し早く気づいていれば普通に買えていたんだけどねえ…。。
D:英国編集だっけ?
O:そう、Phil Spector International 盤。
D:やっぱり70年代にスペクターを評価していたのはイギリス…だったんだろうねえ。アメリカでは無視?
O:アメリカではヒット曲のコンピぐらしか商売にならなかったでしょ。
D:イギリス人のアメリカ音楽好きは半端じゃないね。ブラック物の Kent や Ace のほじくり具合とかさ、重箱の隅を突きまくりだよね (笑)。やっぱり国の大きさからしても日本とイギリスは似てるといつも思う。コアな掘り下げ具合が。
O:体系的にやらないと気がすまいところがあるよね。アメリカ人にはヒット曲だけでいいんだもの。
D:国の広さからなのか…とにかくアバウトだよね (笑)。あのアバウト加減がいいとも言えるんだけど…。
スペクターとしてはイギリスからのオファーてのはどうだったんだろうね? たんにカタログを出しておけば小金になるからいいか…ってな程度だったかな?
O:そうかもね (笑)。アメリカでは商売にならないというよりもスペクター自身が「毛嫌いされている」「疎まれている」と…まあ被害妄想的に思い込んでいたような気がするね。
《river deep, mountain high》以降は業界から干されてる…そんな状態だったしね。業界と関係がよくなかっただろうな、スペクターもああいう人間だし (笑)。
D:たしかに変人は変人でしょ、どう見ても (笑)。真っ当な付き合いはしにくそうな人だよなぁ〜。
D:戻しますけど大嶽さんは、クリスタルズのシングルからオリジナル盤コレクションが始まって…少しずつ買い集め出したと。そして Goldmine* なんかでアメリカから通販で買えることが分かって…。
O:日本でのプライスのほぼ三分の一だったよね。
D:タイトル数もべらぼうな数じゃないから、まあ頑張ればなんとかなるかと…。シングルが50数枚? アルバムはタイトルとして11〜2だっけ? モノ盤/ステレオ盤と揃えてもせいぜい30枚前後か。米盤、日本盤、それに英国盤とか言い出すと増えるとはいえ…。
O:とりあえずアメリカ盤ならヨシとしていたしね。ゴールがわかりやすい (笑)。
D:増えないんだからね、既に「打ち止め」されたレーベルだから。集められる範囲で…ぐらいのつもりでしょ? 最初は。
O:だけど段々とね…やっぱりコンプリートは知った時点で欲が出る (笑)、なんだ、たったこれだけかとも思ったし。リスト見てマーカーでひとつひとつ消していったな。それでも消せないシングルがあるんだけどね。
D:いまだに?
O:買う気もない。
D:べらぼうに高い?
O:日本円でいうと…60万ぐらいかな。
D:なにそれ! (笑)