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D's Talk session #02 with 粕谷雅昭/ex-Victor

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インビテーション:フライングドッグ同様のビクター内レーベル。サザンオールスターズが大ブレイク
アミューズ:サザンの所属事務所。芸能人多数所属の大手
『いか天』:バンドブームの火付け番組「いかすバンド天国」
kasuyaCD
【池中くんの昭和歌謡】

D:フライングドッグはいつまで続いたの?

K:81年か2年で…無くなってさ、それで自分の首も危なくなってね (笑)。そうしたらインビテーション*に誘われてそっちに移れた…首はどうにか繋がったと (笑)。

D:あれ、粕谷君インビテーションへ行ったの? 知らなかった。

K:だからサザンのデビュー直前とかよく知ってるよ。

D:インビテーションて…アミューズ*

K:いや違う、ビクターのなかのいわゆるニューミュージックセクション。

D:そこで誰か担当持ってたの?

K:いや、最初はなにもなかった。後になっては…阿川泰子とかやってるよ、オレ。アメリカ録音も行ったし。

D:へえ、そう。ロス?

K:そう、ロス録音で。

D:メンツはどんなところ?

K:アレンジがニック・デカロ。キーボードがジョー・サンプル。ミキシングがアル・シュミット。そんなそうそうたるメンバーに直に会えてね。ギターが…マイケル・ランドーか。超売れっ子だったね。

セッションは、9 to 5 できっちり終えるんだね。その後はクラブとかでセッションとかやってるわけ。

D:いいねえ。役得だよねえ…。そのブッキングって誰がやったの? 向こうにコーディネイターがいて?

K:そうだろうね。

D:じゃあコーディネイターのリストを受けてそれを日本側でチェックしてOKだす…とか?

K:と思うけど…オレはそのとき宣伝だから詳細は分からないけど。でも宣伝といってもさあ、日本の取材陣とかと一緒にあっちへ行ったわけよ。けどその人たちのほうがオレより英語上手くて向こうの事情もよく知ってて… (笑)。オレなんかただの「お上りさん」 (笑)。

D:そりゃおかしいね。

K:アリスのレストランとか行ったし。

D:アリスのレストラン?

K:アーロ・ガスリーの…あったじゃない。

D:ああ、そりゃ知ってるけど、それって実在の?

K:そうだよ、今はどうなっているかわからないけどその名前で実際にレストランがあって、当時。

D:へえ〜そうだったんだ。

K:ミーハーに記念写真撮ったり (笑)。【ホテル・カリフォルニア】の…。

D:Beverly Hills Hotel だっけ。

K:そうそう、やっぱ写真撮ったりして (笑)。でね、泊まっていたホテルが、こぶりなホテルだったのね。そこってスティーヴィー・ワンダーがオーナーだったんだ。オレらがロビーにいたらドア開けてスティーヴィーがたったひとりで入ってきたのよ。誰にも手を引かれずに。すたすた歩いて中まで入っていってさ、驚いたねえ。

D:ほ〜、実は目が見えるんじゃないの? って感じで?

K:そうそう。

D:なるほどねえ、いい思いしたわけだ。それってやっぱりバブリーな時代?

K:モロそうだったね。海外録音てさ、金が安くすむとか理屈つけてたけど…。

D:みんなただ行きたかっただけだ。

K:そう。それが許されたんだから。

D:ほかにはどんなバンドやってた?

K:インディーのはしりみたいなのが多かった。でもどれの担当ってことじゃなくて、なんでもアリだったから。バクチクとかね。

D:その頃って粕谷君、代々木八幡にいなかったっけ?

K:いや、代々木。代々木の線路脇。

D:そうそう線路脇。でもあれ代々木だったっけ?

K:そうだよ。あれってさ、増渕さんち。増渕さんのおばあさんがアパートやってて、最初は空いた部屋に森田さんが住むはずだったんだ。けど森田さんが住まないってことでオレが借りたの。

D:あれってビクターの時だよねえ。オレも夜中に行った記憶あるのよ。

粕谷君は会社員だったけど、それでもオレらと…つるんでってことないけど、いろいろ遊べたよねえ、あの頃。いい時代だったよね。

K:そうだねえ。月〜金は家に帰らずに土日だけ帰って、ずっと友達んとこを泊まり歩いてさ。連泊すると嫌がられるから翌日は別の奴んとこへ… (笑)。

D:代々木に家あったじゃん。

K:いや、あれは短い間だけ。実家から会社行ってたから。

D:そういえばオレも終電が怪しくなると人んところへ行ったっけなあ。

K:お金ないのによく遊べたよね。あの頃って。

D:オレはさ、兄キにくっついてる味噌っかす状態だったじゃん。みんな年上みんな先輩だったから金って払った記憶ないのよ (笑)、ライヴハウスも飲み代も全部フリーだった… (笑)。

 

D:で、インビテーションやってて…その後で地方へ飛ばされちゃった (笑)。

K:いや、インビテーションの時だったよ。三十ん時かな、だいたい会社勤めの常でさ、二〜三年行ってこいやって感じ。

D:名古屋だったよね、何年?

K:2年半。

D:あれは笑ったよなあ…。帰ってきてさ、粕谷君が名古屋から。そうしたら、実は粕谷君は名古屋で結婚した/東京へそのカミさんを連れて戻ったらしいのに誰にも秘密にしているって噂 (笑)。誰にも会わせないようにしてるって言われてたよ、知ってる?

K:え? そんなのあったっけ?

D:とぼけるなあ (笑)。「なんだよ、粕谷君、水臭いなあ。オレらダチじゃん」とか、兄キや恒ちゃんとか皆言ってた… (笑)。言ってくれれば花のひとつも送るのにとか (笑)。

K: (笑)。

D:でもそれは戸塚さんあたりが作ったデマじゃないかって話で落ち着いたけど (笑)。

で…戻ってきてまたインビテーション?

K:そうだね。

D:じゃあサザンがどか〜んとブレイクしたころだ。サザンてずっとアミューズ?

K:だね。

D:アミューズって『いか天』*の仕切りだったよねえ。じゃあいか天バンドはみんなビクターから?

K:そんなことないよ。ビギンはテイチクだし、クスクスがポリスターとか…。

D:フライング・キッズは?

K:ビクターだね。インビテーションじゃなくてスピードスターかな。

D:川口君とおなじセクションにいた時期があったじゃない、あれは?

K:あれは、学芸部の流れをくむセクションで…なんでもアリで…古い音源掘り起こしたり。

D:なるほど、それであの【池中CD】を出したわけね。

K:うん。何か企画ないかっちゅうからさ、話をしたらOK出てね…。

 

《【池中くんの昭和歌謡】:粕谷君の企画盤CD。池袋中学同級の「ソラミミスト」安斎肇/コーザノストラ桜井鉄太郎の三人による、ビクターの古いポップス音源をコンピレーションした盤、二枚組44曲。2002年》

 

D:その後は…インビテーション終わって…?

K:いやインビテーションは続いてたけどオレは…広報とか出版とか行って…。

D:結局ビクター勤めは何年したの。

K:33年、かな。

D:いや〜お疲れ様 (笑)。

 

 

 

【120516 成増/不二越】