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D:ぱいとしての勝さんの音源は、いまだと当時のライヴだのいろいろ出てますよねえ。
W:あんまりないよ。初期のはほとんど無いでしょ、駒沢君が入ってからだよね、残っているのは。去年か一昨年にディスクユニオンから出たよね、昔の音源集ボックス。僕、聴いてないけど表記だけ見たら2〜3曲じゃないかな。
D:勝さんが参加した音?
W:うん。
D:三人時代とか…当時のぱいの音は残そうという気持ちなかったんですか?
W:無いわけじゃないけど、いい音で録れないじゃない、あの頃は。練習とか録っていたけれど、それもカセットみたいなモンだし…。
D:でも BYG なんかでやる時は一応はPAがあったんでしょう? それからPAアウトの音録りとかは?
W:やればできたのかもしれないけどねえ…。
D:あがたさんとの付き合いも古いんですよねぇ。
W:あがた君が最初の…自主制作ね、それを録る時に、まず僕のウチへ10人ぐらい連れてきてそれで練習したの (笑)。
D:それは…【蓄音盤】?
W:そう、【蓄音盤】。その練習で慶一君と初めて会った。
D:慶一さんとは会ってすぐに、じゃあバンドをやろうということになったんですか?
W:なんとなく…じゃない? そのあがた君のレコーディングで慶一君は主にギター、僕はギター/ピアノ/ベースとか…。ベースの半分は細野さんが弾いている。
D:細野さんて、いまでこそビッグネームなんですが当時は? はっぴいえんどやってました?
W:いや、エイプリルフールじゃないかな。
D:細野さんも立教ですよね、先輩…ですか?
W:二年ぐらい上じゃない?
D:オーパスのなかで知ってました?
W:いや、オーパスは入ってなかったんじゃないの。よくすれ違ったけどね、学校で。すっごい長髪でさ、なんだろうって目立っていた。人に聞いたらエイプリルフールってバンドの人だと…。
D:なるほどねえ。小坂忠さんはどうですか? *
W:分からないなあ。学生時代は面識無いけど、フォージョーハーフでやってた時にはよくイベントで対バンになったけどね。風都市…事務所が一緒だったでしょ、ぱいと。洪さんの乱魔堂とかも…。
D:はちみつぱいとして活動始めた時って、何か音楽的な共通項はあったんですか? やっぱりビートルズやろうとか…。
W:全然。慶一君の趣味はバーズとかだったかなぁ。でもそういうのほとんど関係無しで、お互いが自分の曲を持ち寄ってそれを演っていた。でもレパートリーが増えないから飽きちゃってヤメたという… (笑)。
D:自分の曲を形にするにはメンツが揃っていたほうがやりやすい…程度でのバンドだったと?
W:そうだねえ。
D:アーリー(タイムス)ではどうだったんですか、コンセプトとかは?
W:何にもないよ。あるとすればみんなが歌うということだけね。各自が歌う…。
D:勝さんの個人的な趣味というか…入れ込みアーティストとかどうなんですか?
W:何でも聴いたよね。デッドやモビーグレイプやラヴィン・スプーンフル…ジミヘン。
D:うちの兄キがよく「勝はギター持たすとジミヘンになるからなぁ…」と言ってるんですが (笑)、けっこうブワ〜っといくの、好きですよねえ。世間の…《ぼくの倖せ》のイメージとは裏腹に (笑)。
W:立教の時はハードロックもありだったんだ。変拍子でイエスみたいなのも… (笑)。
D:アーリーは、当時はシングルが1枚出ただけでしたよね…あれ、僕持ってますヨ。《鐘の鳴る丘待ちぼうけ》。
W:あれが本当はB面で、A面が《僕の家》だったんだ。でもリサーチしたら評判が逆だった…あのシングル、ラジオスポットとかガンガン流したんだけどね…全然売れなかった (笑)。それで、次のシングルをレコーディングしている時に僕がディレクターとケンカしてバンドは終わり…。僕はB面で遊びたかったのにディレクターがB面でもきっちり作れという人でね、話が合わなかった…。
D:あのシングルはCBSソニーからでしたよね。
W:あの頃URCからCBS移ったのが多かったんだ…斉藤哲っちゃん、シバもそうでしょ、友部正人、律とイサト…。
D:それは何かあったんですか?
W:たぶん事務所じゃないかな、如月というフォーク系事務所だったから。
D:なるほど、そのフォーク系事務所自体がCBSとの契約になったと。アーリーでの活動はどのくらいでしたっけ?
W:2年ぐらいしかやってないよ。その、ケンカしてやめちゃったから。
D:拠点は吉祥寺でしたよね。いわゆる吉祥寺一派といわれる人たちとの交流ってのもその頃でしょう?
W:一軒家を僕が借りたから…、そこへ集まってきたんだよね。借りたというより留守番なんだけど…。大学の先輩の紹介で青野聰さんと知り合ったら、本人がヨーロッパへ行くことになって、その家に留守番がわりに居着いた…だから一軒家をバンドの練習場にしてしまって。アリちゃんを大阪から呼んでね…、アーリーは始まった。
D:武蔵野たんぽぽ団という名前を思い出すんですけど、あの人らも…?
W:麻雀やりに来たり。終電ないから泊めて、とか。
D:若林(純夫)さんも吉祥寺にいたんですか?
W:いや彼は渋谷だったかな。
D:お洒落でしたよね。センスが凄くいい人で…音楽的にも。
W:かなりいろいろ聴いていたよね。《weight》* を日本語でやってた…。
D:それとランディ・ニューマンの《living without you》を《朝》でしたっけ、訳詞で歌ってましたね。オリジナルもいいし、すごく好きな人だったなあ。惜しいですね、亡くなられて…。僕は若林さんのその次のバンド…少年探偵団がすごく好きだったんです。
W:トクちゃん(徳武弘文)がギターだよね。
D:ええ、トクちゃんのギターにぞっこんでした。結局音源を残せなかったバンドでしたけど、僕はTVに出た時を録り残してるんです。ひとつはTV神奈川の「ヤングインパルス」* ですが…勝さんもけっこう出てますよね、この番組は。
W:出てた出てた。
D:勝さんの音は…はちみつぱい/アーリー/斉藤哲夫、どれも残してますよ。アーリーと哲夫さんのは前にテープを渡しましたよね。ん? ぱいは…勝さんはいないか。哲夫さんのステージではきっちりした「バンド」形態でしたよね、勝さんもギターをかなり弾いていた…。
W:哲っちゃんがきっちりしたのが好きだったからね。
D:ぱいって…先ほどの話だと、すでにあったバンドでそこに勝さんも加わったということでしたけど、本多さんは、じゃあかなり前から慶一さんと一緒に…?
W:そうなんじゃないの? でも本多君はほうむめいどってバンドやっていたかなあ…。
D:ありましたねえ、ほうむめいど。名前だけで観てないけど (笑)。ぱいのメンバーじゃないですが、細野さん…細野晴臣さんてURCのレコーディングにはずいぶんと参加していたでしょう。勝さんもかなり顔を合わせたんじゃないですか?
W:コンサート会場とかでよく会ったけど…そんなに話したりはなかったかな。
D:立教の先輩後輩…なんて話は?
W:それ、細野さん、知らないンじゃないかな (笑)。
D:ああそうなんだ (笑)。学生時代の…ようはオーパス仲間からプロになった岡田さん、白井さん、クジラさんとの付き合いは長いわけでしょう?
W:まあそうだよね。岡田君はあまり会わないけどね。
D:皆さんがプロのミュージシャンとなって…やっぱり当時から光っていたんですか? なるべくしてなったなあという思いは?
W:それはあるよ。武川君はバンド始めたときはベースでさ、でも先輩がベース弾くことになって余っちゃって (笑)、でも小さい時にヴァイオリンやっていたってことで、ならばそれをやればという話でさ (笑)…だから大学の時に久しぶりにヴァイオリンを触ったんだよね。でもちょっと練習して勘を取り戻した、上手かったヨ。《夜は静か…》では、カントリーっぽい曲だしピッタリだったよね。
D:話が戻っちゃいますけど…その立教のね、オーパスというクラブが日本のロックの重要なファクターだったなあとやっぱり僕なんか感じるんですよ。
W:今となっては…ね。たまたまだし。始めた頃に先のことなんて誰も考えてなかったもん。
D:この Talk Session で底通するテーマは「Tokyo 70's Rock」なんですけど、それって単に東京周辺でのライヴ演奏やそれを観ていた僕らということだけじゃなくて、音楽を作る側が東京とその近郊…まあ都会育ち、そのポイントを掘り下げたいという事なんです。やっぱり慶応や立教・青学のエスカレーターに上がってきたお坊っちゃん組というのは強かったですよね (笑)。別に地方の人はどうだなんてことじゃないけれど、今とは違って音楽情報に溢れていた都会=東京という事実は確かにあったかなと…。
W:今はネットもあるし、関係ないもんね。エスカレーターだったのは受験無いってことだから時間の余裕はあった…。
D:そうですね。中学・高校からず〜っとバンドやり放題な感じがしますもん、「若大将」みたいに (笑)。
W:でもその後は実力やツキも関係するしね…あまり学校は関係ないんじゃない? やっぱり〝たまたま〟じゃないの? (笑)
【130422 溝の口にて】