D:ちょっと話が逸れて済みません…、僕は素人で分からないことなんですが、バンドの契約とかバンドメンバー個人個人の契約とかって…どうなっていたのか伺いたいんです。たとえばミカ・バンドへは「正式加入」とかの契約書なんかは…?
N:別になかったなぁ。いわゆるレコーディングセッションのひとつとしてあの曲の録音だったので、ギャランティもスタジオワークのひとつですね。ライヴも少しやったけれど…リハが1、2回でいきなり九州まで飛んだりした…1年足らずでしたね。
D:その後に、Bux Bunny ですが…。
N:ミカ・バンドって事務所がギンガムだったんですけど、そこにいたある人を通して、スモーキーメディスン * を解散した金子マリらが新バンドでギターを探しているという話が来たんですね。会って話をしてみて、自分のやりたかったことが具体化できそうな気がして受けました…それが Bux Bunny です。ファーストアルバムは所属としてシンコーミュージックということになりました。
D:バンドとしてもシンコーのアーティスト契約でしたか?
N:そこはねぇ、自分がどういう契約にあったのか…当時はアバウトでしたねえ。自作曲だけはちゃんと著作権登録されているけれど…。
D:Bux Bunny では音楽の方向性は最初から一致しましたか?
N:Bux Bunny の前に、ミカ・バンドの後で僕は BUZZ * もやってるんです。ピアノとアコギのふたりのバックをストラトの僕ひとりで弾いてたんです。結構いい感じでね…自分のやりたいことが形になってきて。スモーキーメディスンはかなりロック色でナルチョ * なんかティム・ボガートばりにぶいぶい言わせるベース (笑)…それを見たことがあって、新バンドもそれではヤバいなぁと最初は (笑)…でもいろいろとすり合わせていく中でいい形になっていきました。ナルチョも近寄ってくれた感もあって。
D:アルバムではSSW曲カバーもあり、ニューソウルっぽくもありますもんね。活動期間はどのくらいでした?
N:74年の暮れからほぼ70年代いっぱいですね。アルバムが4枚です。80年代に入ってもべつにハッキリと解散と全員で決めたわけじゃなくて、ちょっとそれまでと同じような活動が出来ない状況になっただけでした。そこでジョニー(吉長)はチャーとやるようになって。僕らとしてはレンタルしているつもりだったんです (笑)。
D:「レンタル移籍」ですね (笑)。…では70年代後半は Bux Bunny としての活動だけで?
N:あとセッションワークもありました。
D:どんな仕事ですか?
N:RCサクセションの【シングルマン】や…。
D:え? あの盤で弾いてるんですか!? 僕はRCも大のフリークなんでちょっと驚きですね。
N:ほとんど僕です。あれ、クレジットが無いんですよね。
D:あの盤では、やはりノンクレジットですけれどホーンが来日していた Tower of Power なのは有名ですよねぇ。
N:ええ、ホーンだけじゃなくてリズム隊も Tower of Power がやっている曲もあって、そこに僕がギターをオーバーダブしたりも…。 Tower of Power じゃない、日本人のリズムセクションもありました。ポンタとかあの辺だったと思うけれど…。僕は「被せ」だけだったんで詳細は分かりません。好きに弾かせてくれましたね。
D:あの盤は星勝さんのアレンジですよねえ。
N:ええ、それと(キティの)多賀さんとで。多賀さん/星さんのコンビにはよく声をかけてもらって仕事をしましたね。井上陽水の【二色の独楽】とか来生たかおとか…。
D:そうですか、【二色の独楽】も。ならこの盤のなかでは David T. Walker と共演ですね。
N: (笑)そうなるね。
D:当時でいうと、僕、75年の4月19日に永井さんをステージで観てるんです。
N:どこでしたっけ?
D:日仏会館です。休みの国 * の久々のホールライヴです。5キロぐらいあるソニーの「カセットデンスケ」をかついでいきました。全曲録り残してありますよ。
N:聴きたくないなぁ〜 (笑)。
D:それは?
N:僕の記憶ではかなりドタバタだったから…。
D:そうですねぇ、そんな印象も。リハがしっかりできずにライヴだったんですか? でも僕は好きな音源です。海賊の新曲がすごく良かったから。で、それらの曲はアルバム【Tochika】になったわけですが、僕はあの日の日仏ステージはアルバム完成記念のような…直前ライヴだったと思っていたら違いますね、アルバムは77年の発売なのでけっこうスパンがありましたねぇ。永井さんはアルバムにも参加して弾いていますが…。
N:そもそも海賊と知り合ったのはかなり後なんですよ、もともとヒロ * や谷野とかジャックスのメンツのほうが先でした。共通の知り合いがいて…ジャックスのファンクラブの会長をやっていた女性、そのからみで。
D:あのライヴは海賊としては久々に人前に出たんでしたよね。
N:ヨーロッパへ行ってたりしたからね。
D:そこでヒロさんらから誘われてですか?
N:そんなことかなぁ。
D:それでアルバムの段になった時も弾いてくれという話が?
N:ええ。その後も【ミッドウェイ】もほとんど弾いているし…サウンドプロデュース的なスタンスで手伝ってます。だいぶ後になって【Freegreen】というCDも出してるけどそれも僕がアレンジをやっていて…。
D:高橋さんとしては永井さんのギターはかなりツボでしたかねぇ?
N:まぁ相性は良かったんでしょうね。変わった人だからね (笑)。
D:話はいろいろ聞いてます (笑)。
D:Bux Bunny のライヴ盤で《It's not the spotlight》を日本語カヴァーしてますよね。前年の浅川マキさんのアルバムテイク…浅川さんが書いた日本語詞で歌っていてタイトルも《それはスポットライトではない》なんですけど、これはやっぱり金子マリさんが?
N:もちろんそうです。
D:オリジナルはご存じですか?
N:バリー・ゴールドバーグだっけ?
D:ええ、ジェリー・ゴフィンとの共作で。ロッド(スチュワート)がカヴァーして知られるようになりましたが、その前に73年にゴールドバーグの自身の盤 * も含めて3枚のアルバムですでに採り上げられている曲です。僕はマッスルショールズ録音のアルバムのファンなので…このマッスルを代表する曲に関してはかなり調べました、いままでに13テイクぐらい集めたかな。浅川マキ/Bux Bunny盤も含めて…。
マッスルのギタリストなんですけどピート・カーはご存じですか?
N:ええ、ジミー・ジョンソンとピート・カーですよね。僕はギタリストとして圧倒的な影響を受けたのはマイク・ブルームフィールドとデュアン・オールマンですから、デュアンのアンソロジーの中にマッスルセッションがあってそこでマッスルを初めてちゃんと聴いたかなぁ。
D:なるほどねぇ。デュアンの影響というのは? スライドですか?
N:いや、スライドも好きだけれど普通のフレーズも素晴らしくてね。
D:ディッキー・ベッツはどうですか?
N:正直カントリー系の人なんでちょっと物足りなかったかな…きらいじゃないですけど。
D:なるほど。たしかにベッツはフレーズに富んでないから長尺で弾くと手詰まりになりがちですよね。
N:ちょっと飽きるよね。デュアンはフレーズに形がなくてところどころにドキっとするようなのが出てくるから…。そもそもデレク&ドミノスは、クラプトンはどうでもよくて (笑)…、僕にとってはデュアンの盤です。
D:ちょっと戻りますけど、ライヴ盤で《What's goin' on》もやってますよねえ。あれは?
N:…マリが歌いたかったんじゃないかなぁ。
D:アレンジとしてどのように考えたんですか?
N:まぁマーヴィン・ゲイのままやってもしょうがないんでね、当時はよくリハーサルをして音を出していたから自分らのテイストとして仕上げようとしてあの形にまでね…。
D:永井さんの浮遊感溢れるあのギターはヴォリューム・ペダルですか? それとも「指かけ」?
N:両方ですよ。フレーズによって指ではできない箇所もあってそこはペダルとか…。
D:あの曲も含めて、当時の永井さんといえばスモールヘッドのストラトですよねぇ。色がブルーの…。
N:レイクプラシッド・ブルーね。
D:何年ですか?、あれは。
N:ボディが64年で、ネックは65年の1月5日と書かれてました。ボロボロになっちゃったからもう僕の手元にはないですけど。
D:あ、そうでしたか。
N:ギターに関しては、あるところでスッパリ切れるのね (笑)、もうお役御免と。最初に持っていた335もけっこういいギターだったんだけど現実的な必要に迫られてそれをストラトに換えたりしたし…。デヴィッドTウォーカー・フリークだから Birdland * もBux Bunny の時にやっと買えて持っていたんですけど。ただそれ持っているとデヴィッドTしか弾かないんですよ (笑)、自分がデヴィッドTになった気になっちゃってね。これじゃダメだと思って処分しました。
D:その Birdland は当時使ったんですか?
N:録音では。ライヴではほとんど…大事にしていたから (笑)。【shoot the moon】* というLPではけっこう使ってますね。そこではできるだけデヴィッドTにならないように気をつけた (笑)…。
D:デヴィッドTはやっぱり好きですか?
N:大好きですね。実際その後竜堂組やり始めた時にクルセイダースと来日したデヴィッドTの楽屋へ入れてもらって、自分から「ボーヤやっていいですか? 」って言って〝ギター持ち〟やらせてもらいました (笑)。
知ったのは、FENを聴いててデヴィッドのインストによる《What's goin' on》がタイトルで流れる番組があったんです、それかな。誰 ! ? このギターは、と。アルバムはソロの2枚目かな、その後のマリーナ・ショウの盤ね、あれで僕にとっては神の域になりましたね、デヴィッドのギターは…。
D:他に好きなギタリストというと…?
N:ブルース系ではシュギー・オーティスです。
D:ジョニー・オーティスの…。
N:はい。ギタリストとしてもいいしソングライターとしてもね。ブラザーズ・ジョンソンの《Strawberrry letter23》…。
D:そうそう、あの大ヒットはシュギーがオリジナルでしたね。…ニューソウルな時代となって、…デヴィッドTはロスの人ですけれど、ニューヨークのプレイヤー、ジャズなバックグラウンドの人達がロック畑でも注目されたわけですがあそこらのギタリストはどうですか? コーネル・デュプリとか…。
N:大好きですよ。(デヴィッド)スピノザとか。
D:ジョン・トロペイ、ジェフ・ミロノフ…エリック・ゲイルなど。
N:そうですね。西と東と…両方を偏り無く聴いてきましたね。西だと(ラリー)カールトン、(リー)リトナー、ロベン・フォード…。
D:なるほど。ガルシアなんかどうですか?
N:好きとか嫌いとかじゃないですよ! あの辺は別物ですから (笑)。ザッパとガルシアは別格ですねぇ。
D:それはプロのギタリストとしての永井さんからはそうでしょうけど、僕なんかはただのロック好きだから…。ガルシアのギターはいいんだよなぁ好きだよなぁ…それで済みます (笑)。
N:忘れちゃいけないのがJJケール!
D:あぁ、渋くていいですね…。
N:いまケールはシスコで、トレーラーハウスに住んでいるらしいですね。たまにクラプトンが訪ねてきてドアをノックするらしい…「何してるの」って (笑)。
D:ケールってほんとによくカヴァーされている人だから印税収入で悠々自適でしょうねぇ。
N:ケールとクラプトンの共演盤が朝の愛聴盤なんです。
D:最近の活動として自身のバンド、エガリテ・バンドとしてやってらっしゃいますね。エガリテとは…。
N:フランス語で「平等」…英語の even ね。
D:これってテニス…ですよね、僕もテニスは好きで…。
N:そう、テニスの deuce のこと。
D:最近はラケットもぜんぜん握ってないンですが…かつて好きで四大大会は欠かさずにTV観戦してました。なかで全仏オープン、あの赤土と英語を使わないコール…仏語で押し通す気概がフランス人らしいなぁと思いましたね、そこでデュースが「エガリテ! 」と…。
N:テニスだけじゃなくてその意味で、まだ終わってないヨ…と。まだまだ情勢は決してないゾ…そんなところからも付けた名前でね。最近フランス人の知り合いに話したらいいネーメングだねって言われましたヨ…。
D:そろそろ時間ですか。
ジプシーブラッドで出会ってから小坂忠さんのレコード、ミカ・バンド〜Bux Bunnyや休みの国も…、永井さんのギターがずっと好きだったんで今回話が聞けて嬉しかったです。ありがとうございました。
N:いえいえ、また機会があれば…。
【121122 渋谷マークシティ】