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D's Talk session #21 with 洪栄龍 page_2
モリタケ:ギタリスト/ライター森 岳史_Talk Sessison #8

D:今回のトークで個人的に一番聞きたい事というのが、アルバム『乱魔堂』のことなんです。その音楽性と風都市との関係というか…。僕はライヴを知らなくて、アルバムを最初に聴いたんですが、あのLP…アコギ曲、ハモった曲、これはソフトロックかなと思うようなサウンドもありますよね。疾走感ある曲やブルージーなのもありますがそれほど多くない…まあバラエティに富んでいて、それはすごく「風都市的」と聴いていたわけです。『風街ろまん』に近いなと。なるほど乱魔堂というのも風都市バンドのひとつというのが最初に思ったことでした。けれど、後追いで中津川での音源などを聴くとかなりヘヴィなブルースロックでした。それに、なにしろブラインド・レモン・ジェファーソンと名乗っていたほどなので根本はブルースなんじゃないのか…では、レコーディングではあえて「風都市的」ポップスにすり合わせていた/無理していたのかなという疑問をある時期から持っていました。実際のところは、どういうことだたのでしょうか?

K:答えは簡単で、僕はポップなんです。

D:資質としてポップな物が好きだったと…?

K:そうですね。進駐軍放送を聴いて育ってます、それはすべてアメリカのポップスです。すこし前のことですが、僕がギターを弾いていたら、竹田(和夫)が「洪さん、それレス・ポールの曲じゃない?」と言うんです。「いや、僕はレス・ポールの曲は〝世界は日の出を待っている〟しか知らないよ」と言ったんですけど…出てくるんですねフレーズ、自然と。それが染みついているから。僕はギタリストだから、ポップスのなかでも光るギターを弾いている人たちがたくさんいて…そういう人たちに興味が出ましたね。たとえばプレスリーのバックのスコッティ・ムーアやジェイムス・バートン、ジーン・ヴィンセントのクリフ・ギャラップ、トム・ジョーンズのバックだったジム・サリヴァン…。そういう際だった人たちはみんなブルーズを勉強しているんです。

D:アメリカンなサウンドに傾倒していたということですね。

K:実はそれが乱魔堂解散の原因です。中津川でのサウンドとアルバムとでの差は大きいわけですから。

D:洪さんの元々の資質、根本でのポップス好きは分かったのですが、それでもアルバム制作に関しては風都市という…あえていえばはっぴいえんどっぽいサウンドを意識的に作った部分はどうなんでしょう?

K:はっぴいえんどとは…仲が良くも悪くもなかったですねぇ、単に風都市所属というだけで、僕らは僕らでしたから。僕は大滝詠一とは同じ事務所だったけど、話らしい話をしてません。それ仲の善し悪しとかじゃなくて、昔を知っている同士って妙に煙たいモンがあるでしょう…そういう意味です。僕は大瀧がビッキーズの取り巻きだった時から知っているわけですから。 ただはっぴいえんどのマネージャの石浦信三さんとはよく話をしたし、はっぴいえんどに触発されたところが有るのか無いのかという質問であれば、それは充分有ります。なにかといえば、それは松本隆…彼の詞の世界です。彼は中原中也が好き、僕も中原が好きです。立原道造もです。僕は作詞家ではないけれど、詞を書きますがその世界は松本隆に近いものと自分で思っています。

D:僕なんかはサウンド人間なんで、いまあらためて「詞」と言われて、なるほどそうだったのかと思います。で、音のほうでは Moby Grape の影響もあるように感じていたんですが…。

K:メンバーのなかで、僕だけ。僕はいまでもモビーの曲 "It's a beautiful day, today" を歌いますよ。…サウンドで、はっぴいえんど的ということで一番大きかったのはドラムです。あのアルバムのドラムは松本隆のドラムセットをまるまる借りて録音しているんです。

D:ああそうでしたね、どこかで読みました。確かにスネアの音などはっぴいそのままですよね。

K:だからアルバムの "special thanks" に松本隆の名前があるんです。

D:名前といえば鈴木慶一さんもあって…たしかギターを借りたからとか?

K:そうです。

D:モリタケ * さんの名前もありましたよね…それも?

K:テレキャスターを借りたんです。何本かギターを借りて使いましたが、基本は自分の(ギブソン)335です…ストップテイルピースじゃなくブランコテイルピースの。これだと太い弦が張れる…当時、6弦はベースの1弦と同じくらい太かったからね、触るだけでフィードバックが起きるようなギターでした。これが乱魔堂の時のメイン・ギターです。

D:僕にとっては、ソロ盤のジャケ写真とか、その後のスラッピージョー時代も…洪さんはテレキャスター/ストラトと、フェンダーのイメージが強いんですけどね。ソロLPのタイトルトラックはもろに〝チッキンピッキン〟だったり…。

K:乱魔堂時代、僕らは音がでかいというだけで〝ブリティッシュ〟と言われたんです。

D:ブリティッシュ・ブルース・ロック、ですか…。

K:でも僕はアメリカの南部志向でブルーズが基本。サザン・ロックはかなり聴き込んだしね…。ハコバン時代にビグスビー付きテレを持った時から、テレキャスターが自分のなかで消えた時期はないです。テレキャスターを弾ければすべてのギターが弾けるんですよ。最近のあのエフェクターだらけってのは何だろうね…僕はオーバードライヴとコーラスとリヴァーブの三つだけ、あとはヴォリューム調整でクランチな音を作ってる。いま、テレキャスターはすべてフロント(ピックアップ)を取り払って〝エスクワィア〟にしてある。リアのピックアップでしっかり自分の音を出してこそギタリストだから。

D:次に伺いたいのはレーベルの事です。『乱魔堂』はポリドールから出たわけですが、それはどういう経緯ですか? 風都市の所属ならばベルウッドというのが、もしくはキングから…結びつきはそちらが強かったように思うんですが。

K:それは、まずBYGでギグがあったんです、乱魔堂と DEW が対バンで。

D:DEW とは…洪さんがかつて参加していた…布谷さんの? 

K:そうです。布谷文夫のヴォーカルは強烈でしたから、ポリドールのディレクターが見に来るという話でした。僕らは前座という位置だったんですが、乱魔堂にも興味を持ってくれたんですね。それで後日、どちらのバンドもポリドールのスタジオでテスト録音しました。その音で制作会議にかけられたわけです。それでアルバムのレコーディングとなったわけです。ディレクターは、後に安全地帯を手がける、金子章平さんです。亡くなってしまったんですが…。

D:なるほど、そういうことでしたか。ということは、後に洪さんは遠藤賢司や中山ラビのレコーディングに参加(どちらも当時ポリドール所属)というのも…?

K:ええ、金子章平さんの関係です。

D:あのバック参加は乱魔堂の次のスラッピージョー時代でしたよね。

K:ラビのファーストのレコーディングはベース細野晴臣/ドラム林立夫、ギターが僕ですね…そういう事もあったんです。

D:僕としては遠藤賢司盤『KENJI』での洪さんは印象深いです。スラッピージョーはタイトな音作りのバンドで好きだったので、バンドとしての音源が残らなかったことがすごく残念でした。

K:あの中でスラッピージョーは、遠藤賢司のイメージに合わせて "Shooting Star" という名前にしてくれと言われたのでクレジット上ではそうなっています。(収録曲の)「気をつけろよベイビー」はドラム/原田裕臣、ベース/山内テツでケンちゃんと僕のワウギターです。

D:ここで話が前後してすみませんが、伺いたいことがあるんですが…。最初期に「タブー」というバンドはあったんですか? というのも、このご時世でネットにはいろいろな話題が書かれていますし、乱魔堂CDのライナーノーツにすら、タブーというバンド…布谷さんがヴォーカル/大滝詠一さんはドラム…で、洪さんがギターというアマチュアバンドであったと書かれています。

K:知りません。まったく関係ないです。そのバンドの写真をネットで見たことありますか?

D:はい。

K:写っている中で知っているのは布谷文夫と、ビッキーズの初代ベーシストの及川という人ですが、私は写っていません。私が関係ないことは大滝詠一が一番よく知っていたんですが…彼も亡くなり、布谷も亡くなり…。

D:そうでしたか、洪さんがタブーと無関係なことはここでハッキリさせておきましょう。

 今日は興味深い話をいろいろとありがとうございました。

 

 

 

140227 狭山】