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D's Talk session #07 with ウエヤマシュウジ
“Mr. David T. Walker”

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ueyama 【ウエヤマシュウジ】ueyama shuji
※Denny's voice
バンド・オブ・プレジャー:デヴィッドT、ジェイムズ・ギャドソン、山岸潤史、清水興、続木徹、の日米混合5人によるR&Bバンド
ハミングバード:第二期ジェフ・ベック・グループのメンバーが結成したソウル/ファンク/ジャズを合体させた Groovy なバンド
HDH物:モータウンから離脱したソングライターチーム H=D=H が興した Hot Wax
チャック・レイニーのソロ:【The Chuck Rainey Coalition】'69
ジョン・トロピア:John Tropea _いまではトロペイと表記されるが当時はこう呼んでいた
【press on】:David T のソロ5枚目_Ode からは3枚目
【italian graffitti】:アレンジャーとして名高い裏方の名職人ニック・デカロのソロ二枚

D(以下denny):最初に聞きたいことがあって。

ウエヤマくんのサイトが濃いことは充分承知なんだけど、なかにインタビュー…あれも凄いなあと思って…。

こうしてやっているオレのサイト、同じようにインタビュー…というより単なる無駄話、これは知り合いばかりで普段酒飲みながら喋っていることを文字に起こしているだけだよね。

でも君のは友人じゃなくて…それもかなりの有名人もいたりして…、よくできるねえ。

U(以下ウエヤマ):よくできるって… (笑)。

D:いやいや、凄いという意味でさ。オレなんか小心だからとてもできない (笑)。展開が見えないから。期待した答えが返らなかったら…というよりも思っていたような人じゃなかったらなんて考えると…思うよりもつまらなかったからサイトに載せるのやめますとも言えないじゃない? (笑)

U:もちろんその人への興味があるんですけど、メインの話はデヴィッドTですから。当然ですがみなさんデヴィッドTが大好きってところで繋がってるんですよ。なので…話は盛り上がりますよね。

D:そうか、そういえばそうねえ。でもどうやってコンタクトを?

U:いろいろですよ。サイトを持っている方なんかは直接こちらから連絡したり…。直接は無理でも間に人を介して…の場合も多いですね。

D:介する人…その人脈が普通はないじゃない。まあ君の場合はデヴィッドT本人ともツーカーな関係だもんなあ…。

U:そんなでもないですよ。

D:山岸潤史はニューオーリンズの人じゃない。どうやって?

U:それは、バンド・オブ・プレジャー*でいっしょにやってたベースの清水興さん経由で。

D:ドリカムの中村正人なんて…超ビッグじゃん。

U:もちろんコンタクト取る術なんかなかったですよ。でも…さきほどの話ですけど、間に人を介してメールでインタビューならやってもらえる話ができて…なので最初にサイトに載せている分はその時のですね。その後にもう一度お会いする機会もできて再度お話を聞かせていただけたんです。

 

D:ウエヤマくんと知り合ったのが、デヴィッドTじゃなくてピート・カーだったわけだけど…。

U:そうでしたねえ。

D:オレのサイトを見た君のほうからメールしてきて…じゃあ会おうかとなったよね?

U:はいはい。

D:まあオレはただ好きでピートの〝めちゃ堀り〟サイトをやっていて (笑)、レスポンスあったこと自体意外だったね。もちろん嬉しかったけど…。

だいたい世に〝マッスル〟〝マッスルショールズ〟…かなりの知名度はあると思うが、いざギタリストとなるとエディ・ヒントンだけでしょ。もしくはセッション時代としてのデュアン・オールマン。まずピートへたどり着く人はいないよねえ。

U:おぼろげにマッスルの名前というか…固有名詞的には知っていてもピート・カーは全然知らなかったんですよ。たまたま奥山さんのサイトを見つけたわけで…。ひとりのアーティストを掘り下げるサイトってたくさんあるんですが、ちょっと違ってましたよね。普通と書き方が違うというか (笑)、面白かったです。なぜこういう掘り下げ方をするのかっていうのが。ピートよりも奥山さんのほうに興味が湧いたかな?

D:オレはピート・カーだけど君自身はデヴィッドTのフリークなわけじゃない、そういう…同じようにギタリスト掘り下げって意識があったんじゃないの?

U:そうですねえ…それはあったかもしれませんね。

D:もう自分でサイトは始めていたでしょ?

U:2000年から始めたんで…やってましたね。

D:それを見せてもらって、ほうほうデヴィッドTへの思い入れは半端じゃないゾ、と (笑)。お互い、クレジット買い…名前がある盤はすべて買うゾと思っていたよね。

U:まさに…そうですね (笑)。

D:となると、聞きたいのはその始め…どこからデヴィッドTに入ったか? だな。オレとはちょうどひと回り違いだから80年代でしょ、リアルタイムとは。…東京はいつからだっけ?

U:大学まで福岡なんです。就職でこっちに来たから。

D:なるほど。九州で学生時代ね。

U:中・高は…ごく普通にヒットチャート物を聴くだけでした。

D:MTV世代だ。ビリー・ジョエル、マドンナ、ホール&オーツにフィル・コリンズがヒットとか…。

U:そうですね。

D:ギターはいつから?

U:大学入ってからですね。それまではギターなんて弾けると思ってなかったんですが…。でも大学では、まあ独学ですけどギターをいじりだして…バンド活動に明け暮れたんですよ。なので聴く物も演奏物というか、バンドでやるためにレコードを聴くというふうに変わっていきました。 

D:ヒットとは関係ない音? (笑)

U:ロックとかブルースロックとか…シンプルなコード物が多かったかな。

D:オレもそうだったけど…楽器をいじりだすと広がるというか、コアに音楽へ向かうよね。それはギターだけじゃなくて、ベースひとつでも、このバンドのベースがカッコいいのにこっちは冴えないよなあとか、ドラマーやキーボードも…演奏のアンサンブルなんてことも興味が湧くし…。

U:その通りですね。「演奏者目線」になりましたよね。

ただそれも就職の段になって一度切れるんですよ (笑)。正確にいうと上京した翌年にはバンド仲間がみんな東京に集まったんでスタジオで練習とか続けてはいたんですけど、まあ、学生のときにように自由にはなかなかいかない。ちょうどその頃なんですけど、jazz funk というか… soul jazz かな、まあそんなブームがあったんです。70年代のプレスティッジ盤が一気に再発されるとかバーナード・パーディが来日するとか。僕はそういう音楽をそれまで熱心に聴いたことがなかったんですが、すっかりハマりまして…。

東京に来たから中古盤も豊富に買える場所があるじゃないですか。かなり買いました。そのなかで David T. Walkerという名前も…。

D:初めて知った?

U:いや、名前だけはなんとなくあったんですけど、こうしていろいろな盤で弾いているってことを知っていくんです。

バーナード・パーディはかなり大きかったですね。学生時代、友人に聴かされたハミングバード*の二枚目に参加してますよね…あれがすごく groovy でカッコよくて、名前はインプットしてましたから。

D:そうするとレコードを集め出したのは90年代の初め…だね?

U:ええ。そこで、パーディなんですけど、何度か…いくつかのバンドを率いて来日公演をやったんですよ。僕は生では観てないンですが、そのひとつが後でCDとDVDになって…そこにデヴィッドTがいました。ベースがチャック・レイニーで。動くデヴィッドを見たのはそれが初めてでした。

それと、同時期にマリーナ・ショウの75年盤がCDリイシューされて、そこに参加していたデヴィッドTが凄く良くて。その少し前には、さっき出たバンド・オブ・プレジャーのアルバムがリリースされたりして…そこらで本格的にハマりました。

興味がすごく出てきて…いろいろと調べましたね。するとジャズ/ソウルだけじゃなくていろんな盤でやってるなあと。

 

D:オレは…前にも君に言ったけれどジャクソン5がリアルなブラックミュージックの始めなのね、なにをおいても (笑)。

"never can say goodbye" でのデヴィッドTが大好きだとも言ったよね。ただ、あの曲の出た時はさすがにデヴィッドTは知らなかった…。

70年代半ばまでチャート大好き小僧だったんで、そこへ入ってくるブラックは大好きだった。白黒関係なしに「売れている曲」が一番だったから (笑)。だからモータウンとはジャクソン5だったし、アル・グリーンやビル・ウィザースとかHDH物*も大好きでさ。

U:それってブラックチャート、R&Bチャートじゃないんですか?

D:違うね、ポップチャートのほう。当時R&Bのチャートなんて知る術なかったから、子どものオレには…。 全米2位まで上がったフローターズ "Float On" は忘れられない名曲! (笑)

まあそれはともかく…高校の時だったなあ、チャック・レイニーがドカ〜ンと来たのよ、みんなのところに (笑)。何かっていうと、細野晴臣が一言「ベースはチャック・レイニー」と言ったか書いたか…それだけで翌日からレイニーは世界で一番すごいベーシストになった (笑)。それくらいにはっぴいえんど組の影響は絶大でさ、あっちにも書いてるけど大滝がスペクターと言ったから誰もが…誰もって、もちろんオレの周りの音楽好きなんだけど、スペクターを調べだしたね (笑)。

オレの先輩のベース弾きなんか即レイニーの…ソロ*か? レコード買ってきたからなあ。それ聴かせてもらったけど、ジャズなだけでちっとも面白くなかった、オレには… (笑)。

そんな感じで、ジャズ上がりのスタジオミュージシャン…バックメンツに陽が当たったかな、雑誌なんかにちょこちょこ書かれたからそれを読んで、コーネル・デュプリやフィル・アップチャーッチ、エリック・ゲイル…白人だけどジャズっぽいジョン・トロピア*、デヴィッド・スピノザなんかも。それにジェームス・テイラーとともにという印象なのでちょっと毛色が違うようだけど Jo Mama 盤なんかで聴いたダニー・クーチもジャズな印象あったな。そんな中にデヴィッドTウォーカーもいた。

"What's goin' on" の時代というか、黒人の地位向上/民権運動が出てきて、マーヴィン始めビル・ウィザース、ダニー・ハザウェイ、カーティス・メイフィールドなんて人たちが注目を浴びだして…そのバックを支えるブラックミュージシャンの特集記事なんかもぽつぽつ出てきたんだよね。なかでデヴィッドTも名前があったし、実はジャクソン5のバックもやっていたなんてことをそこら辺の記事で知ったと思う…。

U:なるほど。

D:【press on】*は何年?

U:73年です。

D:【press on】は…75、6年には聴いたと思う。友達のギタリスト恒ちゃんが持っていて聴かせてもらったなあ。

U:その頃って、デヴィッドTの存在は…普通にどうだったんですか? ほとんど知られていなかったですか?

D:どのレベルまでってのは、変だけど…ちょっと分からないよねえ。たとえば世間てのがどこまでの範疇かみたいな…。仲間うち、とくにギター好きにはそれなりに知られていたけどね。

オレにとっては、"I'll be there" や "never can say goodbye" でのデヴィッドTのフレーズはもう意識して聴いてた…すご〜く好きだったよね。

【italian graffitti】*は何年だっけ?

U:74年ですね。

D:あそこでのプレイも気づいていたかな…、それとエリック・カズの【cul-de-sac】、この盤はカット盤で買ったんだけどそのクレジット見て〝デヴィッドTも参加盤だ〟と思った記憶あるよね。

U:73年盤ですね。

D:でもカットで買ったから…76、7年頃だろうなあ。原宿のメロディハウスだったと思う。

U:他のギタリストとの比較…たとえばコーネル・デュプリーとデヴィッドが二大バッキングプレイヤーみたいなこと言われたりすることがあるんですけど、その比較みたいのは当時にありました?

D:デュプリーも人気だったからあったと思う。ふたりが、というよりもさっき名前を挙げた…ジャズがバックグラウンドなギタリストという一団での比較かな。ニューヨーク・セッションメン。あ、デヴィッドTはロスか (笑)…。

デヴィッドTがエリック・カズで弾いていたように、たとえばドン・マクリーンの "american pie" はギターがスピノザなんだよね。一瞬意外でしょ、すごくフォーキーなイメージのドンなのに、セッションはやっぱりNYのど真ん中でそういうジャジーな印象のバックメンツが演奏していたりする…。ある意味で「お仕事? 何でもありなのね」って感じもあった (笑)。

いわゆる「クレジット買い」だね。

U:それは僕も一緒で…シンガーソングライターの盤のバックにそういうミュージシャンがついているのを知って、全然見方が変わってきたんです。幅が広がったというか、そっちもアリなのかという気持ちでいろいろな盤を探したし、買って聴くようになりました。

 

 

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