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前述のようにテリー湯村氏はUSブラックのオーソリティ。そのシンパも多かったはず。ならば、スクーターズが『東京モータウン・サウンド』を標榜して活動を始めたと知れば、そんなコアなソウル/ブラック・フリークがやんやの声援…ライヴ会場は彼らで埋まるものと思っていた。ところが…もちろん彼らもいるにはいただろうが、ステージ前を占領していたのは、コンポラのスーツ、その上にパーカーを着たまま姿の若者ばかりだった。パーカーはカーキ/モスグリーンの軍放出品。つまりは MODS フリーク。
「なんで? 何なの奴らは?」と最初はまったく分からなかった。スクーターズのギグで、モッズ達が踊りまくっておりましたヨ。
直に気づいた。そうか、UKのモッズ・リヴァイヴァルがちょうど〝ON〟になっていた頃だったのだ。『さらば青春の光/四重人格』だったね。60年代のオリジナル・モッズが深く愛したUSソウル/ブラック。モータウンがキラーコンテンツだったわけで、それを模した連中にとっては、「生で踊れるモータウン」が現れたとなれば逃す手はないとばかりに結集していたということ。
はて、そのバンド名の由来は何であったか? 奇しくも「スクーター」と言われれば、これもまたモッズ連中にはたまらなかったはず。ベスパ/レンブレッタはモッズ・アイコン。コンポラスーツの裾を汚さないためにスクーターに乗る/放出パーカーを羽織ってまでスタイリッシュにこだわった彼らにはどんぴしゃにハマったスクーターズであったヨ。
同時期に英米でも60's リヴァイヴァルをテーマとしたアーティストが登場していた。英国では、まずトット・テイラー率いたコンパクト・レーベルから、歌姫マリ・ウィルソン。それとコメディエンヌとして登場して歌でもヒットを飛ばしたのがトレイシー・ウルマン。米国では B-52's がその代表でしょう。
彼女らの特徴として60sの代表的な髪型=蜂の巣盛り、Beehive Hair ですね、ロネッツのロニー・スペクターばりの髪型を作っていた。スクーターズも当然、この髪型を踏襲。
ところでトレイシー・ウルマンだが…。
(A)LP【娘ごころはスクーターズ】の収録曲にジャッキー・デシャノン作/アーマ・トーマス歌の《涙のブレイカウェイ》breakaway があった。スクーターズと同様にウルマンもこれをカバー(右は、コレクターごころをくすぐる 10 inch single_extended version )。
このウルマンによるカバーテイクが、前記「Forever magazine」のレビューで、N氏が〝ウルマンのテイクはわれらがスクーターズ・バージョンをパクったのだ〟と書いていた。たしかにアップテンポぶりや間奏ギターなどがそう思わせる仕上がりであった。
しかし意趣返しでもないだろうが…逆もあった。
唯一シングル《東京ディスコナイト》。これはLPテイクとはまったく異なる新録音テイクで、プロデュースはLPプロデューサー村松邦男(ex-シュガーベイブ)から鈴木慶一に替わっていた。
当時の鈴木慶一氏はUK入れ込みのピークだった頃、そこでアメリカ・ベーシックな村松テイクとは違い、UKから見たアメリカン・ポップスというねじれ狙いでアレンジしたのだと思う。端的にいえば、コンパクトのマリ・ウィルソンをパクったと。
個人的にはまったくのハズレ。LP(=村松)テイクのほうが段違いによい出来となっている。
そう、スクーターズの成功は村松邦男氏と組んだことが最も大きかったとワタシは思っている。
もうひとつ、バンド解散後の事だが、小西康陽が《東京ディスコナイト》を…どうしてもやりたかったんだろうなあ、小泉今日子に持っていった。
村松邦男/鈴木慶一/小西康陽によるアレンジ…三者三様だが個人的には断トツで村松アレンジ、推す。
小泉今日子盤は92年【koizumix production/bambinater】。渋谷系総出、小山田圭吾/田島貴男/小西康陽/藤原ヒロシ/テイトウワらによる企画盤。
← シングル予定だったが結局切られることがなかった同曲のプロモ盤シングルCD。
05
レア映像をひとつ。TV埼玉のPV番組『sound super city』でのひとこま、ビデオに録っておいたバンドのPVです。《あたしのヒートウェイヴ》
音声が左チャンネルのみになってしまったがまあ許されよ。貴重な映像でしょう。動く姿はこれ以外にあるだろうか。ラジオ出演は記憶にあるけれどTVは…どうだったかな。
これは、後述するが、観に行った池袋でのワンマンライヴ告知B3ポスター。
06
以下、の82年アルバムを dig ってみましょう。
【娘ごころはスクーターズ】
プロデュースを担当したのが元シュガーベイブのギタリスト、村松邦男。この人なくしてこの傑作は傑作たりえなかった。アレンジはもちろん、演奏に、曲作りにも加わっている。過度の装飾をあえて抑えたのが秀逸。もともと素人バンドだが、録音の現場では当時でもテープの切った貼ったでいくらでもアレンジメント…それなりにデコレーションも可能だったはず。そこをぐっと我慢して「素のよさ」をみごとに引き出した。
裏ジャケのクレジット、special thanks としてその村松氏は Kunio "great anachro organ" Muramatsu と入っている。絶妙のアナクロ具合で全編を通しているのが素晴らしい。
それともうひとつは訳詞のよさ。カバーがカバーに聴こえない。無理の無い日本語で実にすんなり入る。訳ではなく、超訳的日本語詞になっている。ハマりの良さが抜群。全曲がオリジナルに聴こえます。ゆえにみごとな統一感があって一気にAB面を聴き通せるんだな、これが。
ただジャケットが…。
5〜60年代の American Magazine からの切り抜きでしょう。パウンドケーキにチョコレートソースをたっぷり。湯村師匠的な大胆/大雑把アメリカン・テイストってのは理解できるけれど、正直「なんだかなぁ〜」感を拭えない。
それに裏も。ストレートにスクーターを持ってくるのはいいが、当時のヤマハの最新モデルのベルーガってのがわからない。なぜここはアメリカン・テイストじゃなかったのか。スポンサー契約でもあったようにも思えるが…。
<サイドA>
●バイバイグッドバイ(さよなら TAMLA)
詞:マギー/ロニー 曲:マギー
1曲目はライヴでも欠かせなかった代表曲。リーダーの信藤さんとロニー節っちゃんのペンによる傑作。タムラはもちろん Tamla Motown 。
のっけからロニー嬢のハイトーンヴォイスが炸裂! 秀逸なメロと「娘ごころ」全開の詞が絶妙のマッチングであります、ハイ。
●あたしのヒート・ウェイヴ love is like a heat wave
詞・曲:holland-dozier-holland 日本語詞:マギー
モータウン・クラシック。とにかくパワフルにしてダイレクトな詞が最高。師匠湯村イズムが徹底している感じが。湾曲表現いっさいなし、娘ごころの一本道! 上手く訳そうとしていないのがよくて、原曲のハジケっぷりにすごく近づいていると思える。ロニー・ボーカル、最高。
●ザ・うかれてワッチャ the wah-watusi
詞・曲:Mann - App 日本語詞:ミンダナオ
これはモータウンではなくフィリー物、カメオ/パークウェイでした。オーロンズの《ザ・ワー・ワツシ》のカバー。ツイストを筆頭に dance craze に明け暮れた60年代フィリーR&Bの代表曲、これまた詞が抜群だ。
ネットでみるに、作の「マン」をバリー・マンとしたサイトが多いけれど、そうではなくカル・マン、フィリーのライター。
〝ワー・ワツシ〟を「うかれてワッチャ」にする発想が抜群。ごきげんなダンス・ナンバー、これまたロニー・ヴォイスがたまりませんワ。
ちなみにカメオ/パークウェイはワタシの大好きな〝全米2位どまり〟曲の宝庫で、これもそのひとつ…。
●オー・ハニー
詞・曲:ヤッコ
これ、歌っているのは…作のヤッコ自身なのだろう…。
これを聴いて「なんだ? このド素人は…」と感じるご仁はスクーターズをスルーしていただきたい。この不安定なヴォーカルに一緒になって体が揺れないといけませぬ。こういう曲を佳曲というのだ。これもよい。
●抱いて
詞:村松 曲:村松/ルーシー
これ、全曲好きなこの盤でも…個人的ベストトラック。スバラシスギル。
甘茶ソウルの定番、SE挿入ナンバー。雷鳴&豪雨のなかで繰り返されるは…
嗚呼 抱いてネ 抱いて 抱いて 抱いて
嗚呼 抱いて〜ネ 息がつまるほど〜
ロニー節子嬢が、ここではぐっとキーを下げて燃える女ごころ(「娘ごころ」から「女ごころ」へと変化しているのだ)を歌い上げ。村松邦男による傑作ナンバー。
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