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D(以下 Denny):先日のライヴのときのMCで伺いましたが…中川五郎さんと大阪の寝屋川高校で同期と?
N(以下 永井):そうですね。
D:その時に最初のバンドを…?
N:いや、五郎とやったのは後のことでね。70年ぐらいからですね、会うようになったのは。
D:ちょっとその名が憚れる (笑)…ヴァギナ・ファック…。
N:ええまぁ、差し障りないのは「田舎五郎と魚」で (笑)…。
D:カントリー・ジョー&フィッシュですね。そのバンドでの活動はライヴですか?
N:そうですねぇ、当時はまだ…特に大阪ではライヴハウスとかなかったんで、イベントとか…東京の日比谷野音のフリーコンサートとかちょこちょこと。
D:(中川)イサトさんも一緒だったと…ネットで見ました。
N:そう、僕と五郎とイサトさんと、あとトダ君というドラムでしたね。イサトさんに、あろうことかベースを持たせて (笑)。
D:え、イサトさんがエレキベース?
N:そうそう (笑)。
D:結成のいきさつはどうだったんですか?
N:え〜と、時系列で言うと…弟なんかとバンドをやっていて、70年の万博で演奏することになったんです。その時にいろいろな人たち…福岡風太 * とか、知り合うことになったかな。その流れで心斎橋のヤマハでバイトすることになって。そこを拠点に遊び回るというか (笑)。キタにはSSというマニアックなロック喫茶…ミナミにはディラン * があったから、ディランへは毎日のように行っていて。
イサトさんや五郎や。大塚まさじはもちろんカウンターの中でね…それと名古屋の友部正人なんかと知り合って…。
D:なるほど。で、最初のバンドは田舎五郎と魚ですか。グラスブレインは?
N:グラスブレインはその後ですね。
D:(伊藤)銀次さんのサイトで見たんですけど、短い期間とか。
N:そう、ちょっとだけでした。
D:ユカリ * さんと一緒だったとか。
N:ええ、ユカリと僕と銀次に、朝倉さんだったかな、ベースの人とで。
D:その後でジプシーブラッドの結成ですか。
N:いや、ジプシーブラッドというバンドは入る前からあったのね。ヤマハのバイト時代に神戸で輸入盤専門店を開きたいという人から声かけられて…当時レコードの仕入れなんかも僕がヤマハでやっていたから…東京まで来ましたよ、業者の倉庫を漁りに。六本木の俳優座の裏に後に CISCO になるインポーターがあったから…まぁそんなこんなで神戸の店へ移ったんです。そうするとそのすぐ近くのディスコのハコバンをやっていたのがジプシーで…。
D:そうでしたか。
N:天王寺の野音で「春一番コンサート」の前身のようなコンサートがあったんですね、そこにも出ていたのを僕は観てました。…ディスコの演奏には僕もギターを持っていって参加して延々ブルースっぽいジャムをやったりしてました。その頃はキーボードの人がいたんだけど、ミッキー・カーティスさんから声をかけられてバンドで東京へ行くという段でその人がやめたのね。そこで僕が加わった…。
D:バンドの前身は…ドラムの司英一さんがヘルプフル・ソウルとしてアルバムが出てましたよね。それと速水清司さんがチューリップスというバンド…当時音楽誌の記事で読みました。
N:チューリップスは『ヤング720』 * に出ましたよ、はっきり記憶してる…。(速水氏を)上手いなぁこいつ〜と (笑)。
D:え? 「720」に出てましたか…。それで彼らが集まったジプシーブラッドへ永井さんが?
N:東京へ出ることになった時に加入です。僕としてもいい機会と思ったし。
D:永井さんは、ではジプシー以来ずっと東京住まいですか?
N:そうですね。こっちのほうが長くなったな。
D:東京へ来てすぐにレコーディングですか?
N:まぁそうですね、僕のジプシーブラッドとして活動は1年ぐらいでしたね。
D:ライヴ活動は?
N:渋谷のジァンジァンでよくやりました。ジァンジァンにいた松本さんがジプシーのマネージャになっちゃったんです。あと新宿のウィッシュボーン、ラセーヌ…麻布十番のタイムトンネルだったかな、カントリー系の店ですね。
D:アルバムが【ろっこうおろし】、それとシングル・オンリーで《冥途インジャパン》が出ましたよね。B面はそのインストでした。
N:あれ? そうでしたっけ (笑)…カラオケ?
D:まぁそんな感じで。…あの曲はバック・オーウェンス * のカヴァーでした。僕は当時はそれを知らなくて、後に知りましたが…。
N:そうです。
D:あれ、いわばドカントリーじゃないですか。あそこまでのカントリー趣味はバンドとして端からあったわけですか?
N:あれは…ミッキーさんの選曲だったんじゃないかなぁ。
D:なるほど! カントリー〜ロカビリー流れのミッキーさんかぁ…。
N:メンバーはウェストコースト系、CSNYや…ザ・バンドは東ですけど、そういうのが好きだったんですね。米軍の富士キャンプでよく演奏しました。
D:富士って富士山のふもとですか?
N:ええ。キャンプがあってね。ベトナム戦争が激化の頃ですよね。若い戦士の前でニール・ヤングの《オハイオ》をやったりして (笑)。戦争の現場で反戦歌! キャンプ内にはクラブが若手、中間層、将校クラスと三段階ぐらいあって…。将校相手にはロックなんかできないので…。
D:ドカントリーしかはまらない (笑)?
N:ええ。
D:僕はジプシーのライヴも観ましたしすごく好きなバンドだったんですが、正直かなりコアなカントリーバンドという印象を周りは持っていたような…演ってるハコもカントリー系が多かったし。でも生音は凄く大きくてロック色も強いのにそこが理解されてないようで残念に思っていました。
N:それは当時の僕が一番違和感を感じていたかもしれませんね… (笑)。
D:永井さん自身はどういうギタリストから影響されてギターを始めたんですか?
N:ビートルズ/ベンチャーズの世代ですけれど、あまりベンチャーズには惹かれなかったなぁ。クリフ・リチャードとかも含めてですけど、ストーンズやアニマルズとか…イギリスのポップロックな物が好きでしたね。まぁビートルズ中心というか…。ロックな時代になってきて、ビートルズでもたとえば《while my guitar gently weeps》のギター…これって絶対ジョージじゃないよねみたいな話になったり (笑)、情報量が少ない頃でしたがそれでもクラプトンの名前が出てきた…クリームというバンドがあるとか。
D:いわゆるブリティッシュ・ブルースロックですか。アメリカだけどマイク・ブルームフィールドなんかも…アート・ロックな時代ですね。
N:そうそう。
D:ギターヒーローが出てきた頃のことですか。
N:そうですね。ただクラプトンは…僕のなかではそれほどでもなかったな (笑)、勉強にはなったけれど凄みは無かった。(ギターの)講師を長くやっていたんでレッスン教材としては最適でしたね。
ブルースにハマっていってタジ・マハール…CBS盤ですね、あとアル・クーパーやモビー・グレイプ、スティーヴ・ミラー・バンドなんかも聴いていたなぁ。
D:バンド的には…ジプシーブラッドですけれど、ブルース的マイナーよりもギターに関していえばメジャー・ペンタトニックというかスティールギター・リックっぽいところがメインでしたよねえ。それは永井さんとしてはどういう思いでしたか? 速水さんの得意技?
N:いや速水はブルース・ノートもメジャーキーも、どっちも上手いからねぇ。バンドの音に僕は違和感は無かったんだけれど、ただ自分の求める方向性とはズレが出てきたかなぁ…ブルースやロック寄りなほうがやりたくなってきて…。まあみんな家族も持っていたし、ありうることだけどよりメジャー(大衆)志向…、そう進んだかな。僕はちょっと違うと思って抜けましたね。
D:永井さんもジプシーの時はメジャーノートでかなり弾かれてましたけど、参考にしたギタリストとかは?
N:ウェストコーストやウッドストック系のレコードでかなりそういうプレイはありましたからねぇ。
D:そうですか。僕の思いではコアなナッシュヴィルの人達、たとえばウェイン・モスとかマック・ゲイドンやポール・ヤンデル、そういう名前も挙がるのかなと…。
N:そこまでマニアックには行ってなかったよ (笑)。
D:永井さんが抜けて四人になった時ですけれど、テレビ神奈川のヤングインパルスへ出たんですよね。その時の音、2曲だけ録り残しているんですよ。
N:へえ…。
D:《Jambalaya》《自転車に乗って》です。《Jambalaya》での速水さんのギター、ガンガンなカントリーリックです。
N:僕が最初に彼らとジャムっていたのはブルースが弾けるからだったんですよね。
D:速水さんのオハコにニール・ヤングの《Helpless》がありましたよね。その曲、ストラトのヴォリュームノブに小指をかけて弾く「小指ヴォリューム奏法」…速水さんで初めて見たのかな…、あれは永井さんも?
N:僕もやってました。ただね、僕は最初335 * を使ってたんです。でもストラトに換えたからギターは全員が fender になった…。
D:あの奏法は流行りだったんですか?
N:う〜ん、まぁ少なくとも僕はそのためにストラトに換えたんだよね (笑)。
D:ジプシーをやめて永井さんはその後ミカバンドやブレバタ * ということになっていますが…、ブレバタとしての録音はあったんですか?
N:いや、ライヴだけでしたね。彼らとは1年やったかやらないかぐらいで…。彼らは兄弟だから、リハーサル中に兄弟ゲンカが始まっちゃったりしたんです。僕としてはそれはないだろうと、ここは仕事の場所でしょという思いもあってやめました (笑)。
D:なるほど。…その頃の事だと思うんですが、永井さんが使っていたストラトがシュガーベイブの村松さんへ渡るんですよねぇ…まだシュガーはアマチュアでしょう? それはどういうからみですか?
N:マッちゃんね。そもそもそのストラトというのは後藤次利が持っていたモノなんですよ。彼とは仲が良かったんです。彼から譲ってもらったけれど僕にはどうも感覚的に合わなかった。それで買い換えようと思っていたので…。
D:なにゆえシュガーベイブへ…?
N:なんだっけなぁ〜…何かの接点 (笑)、友達の友達?
D:あのギターは68年製ラージヘッド・ストラトですよね。シュガーベイブ時代の村松さんといえばあれというほど定着していた…。村松さんにはぴったりハマったわけですね。
永井さんは73年に(サディスティック)ミカ・バンドへ参加していますがこのいきさつは?
N:え〜と、たしか小坂忠のアルバムに参加したあたりからセッションが増えてきたからかな。そのなかで小原(礼)とも会うように…。小坂忠盤に小原もいたかはちょっと今は定かじゃないんですが…。
D:いや、小原さんじゃないですよ。そのアルバムは【はずかしそうに】ですよね。僕は買いました。
N:72、3年? 僕が David T. Walker * を聴き出した頃…。
D:73年です。今でも持ってますが凄く好きなレコードなんです。たぶんジプシーブラッド時代から永井さんの名前は知ってましたがギタープレイとして好きになったのはこの盤です、永井さんのここでのギターがもの凄く好きです (笑)。
N:メンバーが誰だったか覚えてないんだけどね (笑)。
D:ベースが角谷さん? …ココナツバンクの人達じゃなかったかなぁ。
(注:表記は以下
Nobutaka Tsugei : keyboards, acoutstic guitar
Katsuo Nagai : electric guitar
Takeshi Oguchi : drums
Yasuhiko Sumitani : electric bass
永井さんの名前が「カツオ」に! サザエさんじゃないだろうに…)
D:永井さんのプレイが…派手なリードパートはほとんど無くてオブリガードに徹してましたよね。でもそれがすごく歌を引き立てていて…。まず音色が柔らかい…ソフィスティケートしていたのが当時の日本のギタリストに無いもので惹きつけられました。今名前が出て合点がいったというか…デヴィッドTの影響ですか?
N:そう…聴き始めた頃ですねぇ。
D:ジプシーブラッドはシングルコイル * でエッジの立ったばりばりなフェンダーサウンドだったですけど、このアルバムではニューソウルな時代といいますか…やはり永井さんも変わっていったんですね?
N:そう…ですよね。で、ミカ・バンドが《ハイ・ベイビー》を録音しようとしていた時…そこで高中が抜けちゃったんですよね、なので僕へ声がかかったんでしょう。小原からかなぁ?
D:《ハイ・ベイビー》がシングルとして出た時、そのキャッチコピーとして「ミカ・バンド、フィリーソウルに挑戦! 」…それが僕の記憶なんです。
N:えぇ? そうだった? (笑)。
D:どこかの雑誌が勝手に書いただけかもしれませんが…。ただそれまでのミカ・バンドのUKグラムみたいな音像とはかなり違ってアメリカ寄りの曲でしたよね。永井さんもデモを聴いてそういうギターアレンジを考えたわけですか?
N:まぁ…好きにやらせてもらえたセッションでしたけどね。小原が口頭でデヴィッドTみたいなフレーズ(複音スラー)をどうか…ってことはありましたヨ。
D:そのシングル後に高中氏が復帰で…。
N:そうね。つまりは次のアルバムでイギリスへ進出するということになってトノバン * の思いとして、ならば高中を…だったろうから。そういう空気というかニュアンスに僕は敏感だから (笑)。求められるものが違うなと思ったのでやめますと。僕自身もやりたいことが膨らんでいて…アメリカ志向の強い音楽をね…。