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D's Talk session #22 with 佐野邦彦
part_2“Soft Rock とともに…”page1
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※Denny's voice
ブリルビルディング:音楽出版社が多数入っていたNYのビルで、今日では60年代のアメリカンポップスの代名詞
アルドン:アル・ネヴィンズ/ドン・カーシュナーによる60年代を代表する音楽出版社=アルドン・ミュージック
アーヴィン・バーリン: <White Christmas>の作者_アメリカ・ポピュラー音楽家を代表するビッグネーム
ロジャニコ:ロジャー・ニコルズ_作詞家ポール・ウィリアムスと組んで数多くの名曲を書いた
愛のプレリュード:ウィリアムス=ニコルズのコンビが銀行CM用に書いた曲でカーペンターズにカヴァーされて大ヒット_<we've only just begun>
フリーデザイン:クリス・デドリックを中心としたグループで高度な音楽性の諸作品を発表するものの当初は耳目を集めることはなかった
クライヴ・デイヴィス:CBSの重役から始まり、後に Arista レーベルを興しヒットを連発した業界の大立者
OD:overdose_薬物過剰摂取
ヴァレッセ・サラバンデ: varese sarabande_ 西海岸のリイシューレーベル_上質なCDを多数発表しファンが多い_文中のCD: 【the warm
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D (以下 Denny):では、第二弾ということで…よろしくお願いします。まず聞きたいこと、「ソフトロック」という言葉、佐野さんは Vanda の中で使いだした?

S(以下 佐野):ええと…後にカテゴリーになりましたよね…もともとは、ポップスなんだけどストリングスがメインでバックに入るようなサウンドとは違って、ある程度ビートはありハーモニーもある…といってもロックと言うには無視されがち、相手にされないような…。

D:いわば軟弱路線というか…。

S:そうですね。まあそんな音を、誰が言い出したのかはっきりしませんけど仲間内、ほんの数人とレコード屋さんなどで「これってソフトロックっぽいよね」なんて使い始めたんですよ。

D:ほうほう、なるほど。これはオレの認識なんだけど…既存のロックジャーナリズムが無視する音楽にたいして、そういうことならば自分で紹介しよう/書いてみようと佐野さんは決心した、と言っていいのかな。

S:それほどの決意でなく、Vanda の初期を見てもらえばビートルズもビーチボーイズも…結構王道も書いているんですよ。それから趣味が広がるなかでいままで知らなかった音に気付いたり人から教えてもらったりして、「これ、いい曲だね」とか…。そこで私の場合、単に聴いて終わることなく、誰が曲を作っているか/プロデューサーは誰だ? とそちらへも行くわけですよね。トニー・マコーレイという名前はいい曲を書くぞとかボーンズ・ハウのプロデュース盤はちょっと違うぞ…いろいろと気付くんですね。追うべき名前がだんだんとはっきりしてきて、そうなると体系化してくるじゃないですか。もちろんハズレもありで1曲だけが素晴らしかったなんてのも…。それでもだいぶ揃ってきたところで、それじゃ一冊の本にまとめようかという話になって、単行本(『ソフトロック A to Z』)にしたらヒットした、ブームになりました。いままで誰も聴いてなかった/棄てられるようなレコードのなかから宝探しでしたね、それらが認知された…。

D:レアアイテムの前に、カーペンターズとかサイモン&ガーファンクルのような…知名度はあっても音楽誌には無視されたところはどうだろう、思うところはあった?

S:S&Gとかは Vanda で採り上げているんですよ。でも、ならば次はカーペンターズとは行かなかった。もう宝探しは始まっていたんです。聴き方も変わった、たとえばフィフス・ディメンション。世に知られるのは<アクエリアス>や<ビートでジャンプ>じゃないですか。

D:そうだね。

S:ところがLPを聴いてみるとまったく売れなかった2枚目の【The Magic Garden】が素晴らしいんですね。全曲ジム・ウェッブ作でボーンズ・ハウと共同プロデュース、曲間も別のメロディで繋いでいるんです_こんな傑作がなぜ無視されていたんだろうと…まずこういう盤をプッシュしていこうと思ったんですね。ポップスの世界はヒットしてナンボじゃないですか。でもヒットしなかった曲のなかにも驚くほどイイ曲があるんです。

D:ロック・ジャーナリズムというほどかどうかはともかく、まあ日本の音楽誌というのもご多分にもれず「語るべきは〝カウンターカルチャー〟ロックである」というのが延々とあるわけじゃない。ディランの歌詞がどうの、ミック・ジャガーの反逆性とかさ。その対極の…とくに British Invasion に駆逐されるまでのティンパンアレイ的アメリカンポップスかなあ…ただヒットのために血道を上げた、女こども向けの音楽_ようするに〝ストレートカルチャー〟側音楽だよね、それでもそんなに酷くないぞ/いや素晴らしい才能が競い合っていたのだ、素晴らしい曲がこんなにもあるのだと佐野さんは反旗を…というと大げさかな、でも無視し続けるのであればワタシが語りましょう…そんな風にオレなんか勝手に思っていたけどね。

S:自分の中で作り上げたロックンロールを金科玉条としている姿勢には違和感を感じてなりませんでしたね。音楽ライターらがビートルズといって挙げる曲は8割方ジョンの曲ですよね。ポールはロックじゃなくてポップスだからなんでしょう。もっと自由に楽曲単位、楽曲それ自体を語るのが自然でしょう。

D:そういう意味ではやはり Vanda は彼らへのアンチテーゼという…?

S:ありましたね、それは。ただ僕はティンパンアレイの音楽って好きじゃないんですよ。コードも循環ばかりで単純だしどれも同じよう…。「ブリルビルディング」* というものに思い入れはないです。彼ら、キャロル・キングにしろバリー・マンにしても British Invasion で打ち負かされて変わったんです、作風が。それで凄く良くなった。

D:なるほどなあ。でも今はさ、たぶん山下達郎や大滝詠一の影響力でブリル系楽曲/アルドン * の音楽こそアメリカンポップス王道にして最高…なんて言っている若い子たちも多いんじゃないのかねえ。

S:そうでしょうね。前回話した通りに僕にとっては大滝詠一は【ロング・ヴァケイション】以降なんですよ。それはさっきの話と通ずるところで…。

D:そうか、大瀧もナイアガラ・レーベルの失速を経験後、キングやマンのように作風が変わったと。

S:そうなんです。断然こちらが好みです。…やっぱり思うのは British Invasion の衝撃ですね。キャロル・キングは【つづれおり】の前にすでにモンキーズで<プレザント・ヴァレイ・サンディ>みたいな、ビートが利いてアレンジも凝った曲を書き出してましたからね。60年代前半とは別曲です。

D:そうだね、ビート感覚ってのがすごく重要になってきたんだろうな。モンキーズにはオレも結構思い入れある、TVもずっと観ていたし (笑)…いまでも好きなんだよね。ただ思うのは…人選ミスだよね、明らかに。デイヴィ・ジョーンズとミッキー・ドレンツのふたりでよかったんだよ。そこにカントリー畑のマイク・ネスミスと変人ピーター・トークを入れちゃったでしょ。特にピーター。TVのポップスバンドをやめてヒッピーになったようにとられてるけどそうじゃなくて、端からヒッピーだった男をチョイスしてしまったドン・カーシュナーのミスじゃないかなぁ (笑)。いや人選はカーシュナーじゃなくてTV局かもしれないけど。なんにしろ、もともと子役上がりのデイヴィ/ミッキーはどこまでも大人しくカーシュナーの敷いた道を外れることはなかったと思うね。だからふたりで不足ならば後のニュー・モンキーズ、ボイス&ハートを最初から入れて四人でやっていれば良かったんだ_反逆児ネスミス&トークなど加入させなければ (笑)。

S:それは面白い見方ですねえ。

D:といってもネスミスとトークも大好きで、ごたごた時期も含めてモンキーズはOKだけど。ニール・ヤングやスティルス、ジャック・ニコルソンやザッパまで引っ張り出した…「アメリカン・ニューシネマ」の導火線はモンキーズだったのかもしれないと思うよ。

 

D:ちょっと戻るけど、カーペンターズというと最初にバカラックで出てきたじゃない。それとテディ・ランダッツォ。こういう人たち…ブリルより前の、それこそアーヴィン・バーリン * などを思わせる本来のティンパンアレイというか、アメリカンソングライティングの正道みたいなイメージがオレはあるんだけど、佐野さんの捉え方はどう?

S:テディ・ランダッツォに関しては、やはり初期に自分で歌っていた頃とアンソニー&インペリアルズやロイヤレッツを手がけていた時ではまったく違うんです。この時期はランダッツォ風とも言うべき大胆なアレンジ、転調に次ぐ転調/フックのところで一気にヴォリュームが上がる構成…聴きどころ満載で素晴らしい。バリー・マンも同様な変化を遂げた人ですけど、なんでも山下達郎さんはランダッツォとマンに関してはコンプリートなコレクションを目指しているそうですよ。

D:バカラックやランダッツォ、バリー・マンもそうなのかな…アカデミックに音楽を学んだのできっちりとしたスコアまで書けた人たちという印象もあるね。

S:カーペンダーズ/バカラックに関してはやはり日本でも相当な人気者だったんでね、あえて Vanda で採り上げるまでもない…それより知られていない音を紹介するのが責務かなという気もありましたから。

D:カーペンダーズは間口が広かったじゃない…〝ロジャニコ〟* も出てきた。

S:でも最初は意識が無かったですよ、後になってああこの曲のライターがウィリアムス=ニコルズだったんだと分かった…。スモール・サークル・オブ・フレンズを聴いた時に、とくに<ドリフター>ですね…この曲を聴いた時は驚いた、すごい曲を書く人もいるものだと。それから戻って、<愛のプレリュード> * もこの人だったんだと…。

D:そうかあ…そうだな、オレもそうだったんだよな。とにかく<愛のプレリュード>は素晴らしい曲なんで出た時にシングル買ったほど思い入れある曲だったから、そのライター、ロジャー・ニコルズは強烈にインプットされてるけれど、中学時代にクレジットまで気付いていたかどうかは怪しいね。ロジャニコといえばスリードッグナイトの<Out in the country>も…。

S:そうなんです、スリードッグナイトのなかでも好きな曲だったんで、これもそうだったんだという驚きがありましたね。同様に、イギリスのトニー・マコーレイやロジャー・グリーナウェイという名前もだんだん調べていって分かってきたんですよ、こんなに素晴らしい曲をこんなにたくさん書いていたのに誰も紹介していなかった/音楽誌に採り上がられることがまったくなかったんでね、それならばと…。ヒットとは無縁でしたけどソルト・ウォーター・タフィを手がけていたロッド・マクブライエンとか、無名でもすごくいい曲を書く才能を見つけたりして…。 

まあそんな感じでいろいろな音を探してきたわけで、総称的にソフトロックとしています。なかにはすごくクールでジャジーなモノやボッサな…ヒット狙いとは無縁なところもあったんです。それに対して、なんでもかんでもソフトロックと言うな、なんて声もあったりして… (笑)。

D:分かる気もする (笑)。

S:分かりますよね。でね、結局いろいろと聴いてきたなかで私自身はどれが一番好きかと考えると、ヒット狙いのポップス…がやっぱり好みですね。実験的にやろうとしていた人たちはたしかにクールでカッコいいんですけど…サバービアやトラッテリア、フリーソウルとかで紹介された音楽よりも…。ただフリーデザイン * を見つけた時にはこんなにクールで独創的なことをやっている人もいるんだなとは思いましたけどね。

D:たしかにあの人たちはヒット狙いには見えなかったよなあ。それでもアート・ガーファンクルだっけ? メジャーな仕事もやりつつのオリジナルアルバム制作だったんでしょう?

S:ですね。

 

D:聴く音楽はこれだけ、というジャンル意識は変だけれど、オレ自身がたまに人と音楽話をする段で悩む…というほどでもないか、ちょっとだけ考えてしまうことかな_ポップスとロックと分ければ、ヒット狙いのポップスから聴き始めているから大好きなんだよね。それでもさっきの言葉でいえばオレはかなりロック派、カウンターカルチャー側だと思ってる、ポールよりジョン (笑)。サイケからの西海岸ロック/カントリーロック/ウッドストック音楽/サザンロック/SSW…典型的なアメリカンロック好きのひとりかなあ。なのでポップス話になると…まあカテゴライズに意味はないと思いつつもさほど乗れない時があったり…。そこで思い出すのが竹内まりやね。達郎のラジオに年に数回出てくるでしょ、その時に自分のリクエストをかけさせるよね_そのなかに<musician>という曲があったことがすごく印象深いんだ。歌っているのはシルヴァーってバンド、知ってる?

S:名前だけは。

D:<恋のバンシャガラン>のいわゆる one-hit wonder、アルバムも同名盤1枚でポシャった。クライヴ・デイヴィス * の仕込みで、たぶん無理に歌わされたと思う_そのシングルヒットは別のライター曲を歌って目論見通りのスマッシュヒットだったけど、竹内まりやがかけたのはそれじゃなくてまったく売れなかったシングルカットのほうね。作も歌っているのもブレント・ミドランドというメンバーでこの人は解散後にグレイトフル・デッドへ…そしてOD * で亡くなってしまう。このスローで超メロディアスな、知る人ぞ知る名曲をかけるとは、う〜ん竹内まりや…かなり西海岸モノを聴き込んでるな!と思ったわけ。「ミュージシャンなんてやるもんじゃないよ…」てな歌を、あえて売れっ子まりや先生が選曲という妙も含めてね… (笑)。いや、それでも諦めきれないミュージシャンの夢…反意でポジティブソングかな? 

S:私もロックンロールは大好きですよ。キンクスやフーや、ストーンズはいまだにコンプリート目指して集めているし…。ただ昔「産業ロック」なんて言葉もあったけれど、ヒット狙いをバカにするというか見下す視線は自分には無いということかなあ。ソフトロック系に戻れば、音楽ジャーナリズムが採り上げないということで当然知名度皆無、CD化もまったく進まなかった_私が『ソフトロック A to Z』の初版で採り上げたアルバムは64枚ですけど、当時は4〜5枚しかCDになっていなかったんですよ。それが今では未CD化は1枚か2枚だけ! 一度は世に出ながら消えていった音楽が再度認識された…その手助けとなったというだけで満足感はありますね。ビートの利いたロックンロールも大好きなんだけど、ジャーナリズム的にはソフトロックは軟弱であるとか、商業主義というレッテルを貼り価値無いモノとしていたことへの反発は常にありましたね。 

D:なるほどね。チャート狙い音楽でも駄目な音楽じゃない、と。再発見という意味では海外からの注目も相当だったね。え〜と、あれはヴァレッセ・サラバンデ * 盤_ビーチボーイズにインスパイアされた曲のコンピCDに佐野さんの名前が special thanks にあったよね…。

S:そうなんですよ、私はヴァレッセの人って知らないんですけどね。

D:注目されたんだなと思ったよ。

S:ええ、レコード屋の人から聞いた話なんですけど、アメリカへ買い付けに行くじゃないですか…すると向こうのディーラーから「佐野を知っているか?」と何度か聞かれたらしいんです。ディーラーたち、『ソフトロック A to Z』が必須だったみたいです。ようはそれまでゴミ扱いしていた盤が商売になるんだから必死でしょう (笑)。それが日本向けだけじゃなくてアメリカ国内でも面白いという声が広がったんでしょうね、Rev-Ola / Sundazed みたいなレーベルがさかんにリイシューしてくれるようになりました。

D:今回の Vanda、30号だけど中で韓国事情記事にあったね…韓国でもさかんにリイシューしてくれるレーベルがあることにオレなんか驚いた。

S:今でこそCDで入手可能ですが、当時はアナログだけでしたからね。それで、前回のトークの最後にちょっと触れたレコード店、下北沢の…。

D:Wind だね。

S:ええそうです。私が一番通った店、ソフトロック盤を見つけた店がウィンドなんです。まず客が少なくてね…店長と話をする時間がやたらあったんです (笑)。なのでこういう名前のクレジットを見たら押さえておいてとか気楽に言えて。店長も乗ってくれて私の好みっぽいのを探してくれて、それも店で聴かせてくれたんです。中で、これは買い!…とか (笑)。他にも店は廻ったんですけど、店長と店の雰囲気は大事ですよね。嫌な感じの店も少なくなく、ひいきだったのはウィンド以外では池袋のオンステージぐらいだったなあ。そんな風に、自分の足と耳で集めた音源なんですけど、今は YouTube でなんでも聴けるんですよね。

D:そうそう、ウルトラレアなんてのも平気でアップされてる (笑)。

S:ディスコグラフィにしても正誤はともかくある程度の情報はネットから容易に落とせる時代…便利になったもんです。

D:音質を問わなければなんでも聴けるし、実際の盤にしても、もうレア盤を持っているって得意になれる時代じゃないよなあ。海外ディーラーへ直接 want list をメールするだけで相当なモンでも送ってくるわけじゃない…財布が許せばの話だけど (笑)。

 

 

 

<Page 2 へ続く>