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D (以下 Denny):ネットで見たんですけど、勝さん…高校がコマトウ(駒場東邦)なんですねぇ。
W (以下 渡辺):そうだよ。
D:なんか似合わないなぁ (笑)。私立のお勉強高校ってのは…。当時でも入るの大変だったでしょう?
W:うん。でも勉強してなかった。でも中学へは…。
D:中学からですか。やっぱり勉強してたでしょ?
W:いや。
D:でも大学、立教でしょ。
W:あの高校だからだいたい早慶と東大で…、勉強してないから僕は立教。
D:はぁ〜なるほどねぇ。なぜ立教だったんですか?
W:いや、明治に行きたかった。
D:それは?
W:田舎の人が多そうじゃない。
D:そういう理由ですか (笑)。
W:で、早稲田は難しくて受からなくて…明治・中央・立教が受かった。
D:じゃ明治でしょ。
W:う〜ん、親戚の一言で立教にしたんだ。
D:何言われたんですか?
W:なんだっけなぁ〜 (笑)、とにかく立教にしたの。
D:はあ〜…ま、理由はともかく、伺いたいのは立教のことなんです。というのは、個人的な思いですけど…日本のロック/ポップス、60年代から形作ってきたのってやっぱり最初は「いいとこのお坊っちゃん」たちじゃないかと。まず慶応ありきという感じ、します。エレキな楽器を学生時分に持てたというところからしてお金持ちの家ですよねぇ。慶応ボーイがエレキインストから始めて、「洋楽を意識した」音楽を広めたと思うんです。そして、70年前後の「日本のロック黎明期」というか…その頃は立教もかなりミュージシャンを輩出した…そういう印象が僕にはあるんでね、そこら辺はどうかと…。日本のロックは慶応と立教で作った… (笑)。
W:立教はそうでもないよ。
D:そうですか? …細野(晴臣)さんの印象が強すぎるのかな?(高橋)幸宏さんやユーミンは高校が立教で美大へ行ってる…。ハルヲフォンのドラムだった恒田さんも立教高校で。佐野元春さんは…その後だけど立教大出。
W:そうなんだ、へぇ。
D:さっき大学で「田舎の人が…」という話ありましたけど、立教も慶応のように都会の人が多かった、お坊っちゃん多かったでしょう。
W:うん、お坊っちゃんだよね。下から上がってくるから。
D:エスカレーターに小・中学校から上がってくるって、ほんと都会/東京の人たちですよね。その意味で早くから音楽に目覚めた人たちが多かったんじゃないかって想像するんですけど…。ムーンライダースの岡田徹さんも立教でしたね。学生時分には面識あったんですか?
W:一緒にやっていたから。
D:岡田さんと? それってサークル内ですか? その…音楽サークルが立教にはあって、そこ出身のミュージシャンが多いと聞いたんで、そのことを伺いたいんですよ。
W:うん、結構いるよね。
D:勝さんが作ったサークルですか?
W:いや、あった…入ったときにあった。
D:作詞・作曲のサークルとか?
W:O・P・U・S…「オーバス」っていうのね。クラシックでいう〝作品〟という意味かな。ジャンルは何でもいい、とにかく自作する…というサークルで。先輩には鳥塚しげき * さんとか…あの辺が一番上かなぁ。
D:へぇ〜、鳥塚さんねえ。勝さんの時代はどんな人たちがいたんですか?
W:岡田君と…歳は一緒だけど下に武川君 * 、岡崎倫典、白井良明…。
D:なるほど。で、そのサークルですがどういう音楽性だったんですか?
W:ジャズから演歌まで…なんでもいいの。詞や曲を作って演奏する…。
D:ライヴで発表するわけですか? 音はバラエティに富んでいたんですね?
W:フォーク/ロック系が多かったけどね。さすがに演歌は…ひとりだけいたな (笑)。
D:いまでも続いてるんですか?
W:僕はよく知らないけど、集まりとかあるらしいよ…。
D:勝さんが入ったきっかけは…、やっぱり中学ぐらいからギターを?
W:まあいじっていたけど。大学入って、僕、学校へギターを持って行ってたんだよね。で、同じクラスにドラム叩く奴がいて、ギターやるならクラブに入れと無理矢理誘われたんだ。
D:最初に、中学時代にギターを持った時は何をやろうとしたんですか?
W:ビートルズ。
D:やっぱりねぇ。ダイレクトにどか〜んと来ましたか。他のビートバンドなんかはどうだったんですか? キンクスやアニマルズとか…。
W:当時は、ラジオの番組欄に内容が出てたでしょう、『ビートルズの新曲発表』とかね。それを見てエアチェックしていたな。
D:バンド志向は…自分でもバンドをやりたいと思いました?
W:ビートルズを聴いていたからね。でもその前は、小学生の時とかハンク・ウィリアムスなんか聴いていた。
D:カントリーですか。ディランはどうでした?
W:ディラン、聴いてないよ。
D:初めて聴いたのはいつ?
W:高校…の時だったかな。
D:GSってどう見てました?
W:あまりカッコいいモンじゃなかったよね。ゴールデンカップスとか別だけど…。
D:ベースが凄かったですよね。
W:うんうん。一時期はあんな風に僕も弾いていた。
D:ベースを…ですか? 高校時代?
W:いや…高校ン時はバンドとかやってない。
D:ん? ギターは弾いていたんでしょ? バンドやってないんですか?
W:まだそれほどの腕じゃないと思っていたからね。
D:じゃあひとりでギターを弾いていた…?
W:人に内緒で (笑)。
D:それでも大学に入ってからはギターを持って行っていた… (笑)。そこで誘われてサークルへ入ると。そのドラマーの人とバンドということにはならなかったんですか?
W:やったよ。ベースが武川君で。
D:クジラさんがベースですか。
W:最初ね。途中でヴァイオリンに替わった。…ブロマイドっての? 写真を浅草で撮ったりした。
D:え、なんで?
W:マネージャーやりたいって人が出てきてさ。
D:へ〜かなり本格的なバンドだったんですねえ。
W:いや、ドラマーがプロになりたかっただけで、彼が連れてきたんだ (笑)。だけど胡散臭い、ヤクザっぽい人だったから僕はやめたけどね。でも、そのバンドでBYG * なんか出てたりしたんだ。だから武川君はウチのバンドからはちみつぱいに移った。
D:当時の「ぱい」って誰ですか?
W:僕と慶一君と本多君 * 。
D:あれ? 勝さんはその立教のバンドと…かけもちで?
W:そうそう。
D:じゃあぱいの始まりはどういう事だったんですか?
W:え〜と…、オーパスにあがた君 * や慶一君や斉藤哲っちゃん * なんか出入りしていたから。
D:別に立教生じゃなくても集まっていたわけですね。すると、そのオーパスというサークルにはコアなミュージシャン志向の人たちが集合していたんですね。
W:うん。だから、斉藤哲っちゃんのバックは僕の後、岡田君と白井君がやったんだよね。
D:慶一さんとはオーパスのなかで知り合った?
W:いや、オーパスの先輩がコンテストに出たいとか言って、僕がギターで誘われたんだ。そこで斉藤哲っちゃんとか山本コータローもいたかな、知り合った。
D:なるほどね。それで…慶一さんと本多さんと三人でバンドをやろうという話に…?
W:いや、ドラムがいたな。松本隆さんの弟さんが…叩いていたよ。
D:あぁ松本裕さんですね。一番最初のムーンライダースのドラマーですよね。
W:え、そうなの?
D:たしか。その松本さんも立教の…?
W:いや違う。たぶんみんな… BYG …あの辺のつながりなんじゃないの。
D:はちみつぱいの名前は誰が付けたんですか?
W:あがた君。はちみつぱいというのはあったんだよね、慶一君と彼の弟と山本浩美君、あと一人ぐらいで…やっていたのかな。そこへ僕が入った形だったんだ。
D:あがたさんは?
W:あがた君はいない。
D:あそうですか。じゃあバンド名だけ付けた…、これはビートルズの《honey pie》ですよねえ?
W:そうなんじゃない? 僕は入った時は三人しかいなかった。まあ流動的だったんだよ、適当に…。あがた君は哲っちゃんとサーカスってやってたでしょう、そのイベントに僕の入る前のぱいが出ていたんだ。
D:サーカスって…イベントですよねえ? お金取ってきっちりやってたんですか?
W:うん。場所は新宿のカシワホールってところ。今はないのかも…。
D:いろいろなバンドを集めてやっていた…と。
W:そうだね。そこで僕はピアノを弾いていたら…観に来ていた早川さん * が声掛けてきてね、岡林(信康)のバックのバイトをやらないかって。
D:じゃあ勝さんとしては最初にギャラもらったのはその、岡林さんのレコーディング?
W:いや、斉藤哲っちゃんのほうが先。URCからのシングル…。
D:いつ頃ですか?
W:大学の1年ときじゃなかったかな。
D:早かったんですねえ。斉藤さんは年上ですか?
W:いや、明学(明治学院大)で、同い年。
D:そうですか。じゃあ斉藤さんは早くにプロデビューなんですねえ。勝さんは…大学入ったばかりで斉藤さんや岡林さんのレコーディングと忙しかったんだ。
W:いや岡林さんのレコーディングは4〜5曲しかやってないよ。それよりツアーが目一杯いあったな。哲っちゃんのツアーもあった。URCは労音関係でしょう、お客もいっぱい入ったしね。
D:学校行くひまなかったでしょう?
W:行ってない。授業出たのは4、5回だけ。スタジオに呼ばれたり…当時はギャラも良かったから一番金あった頃 (笑)。
D:それってオーパスの一員だったんでしょう、それでもツアーやレコーディングに、ぱいでの活動もあったりで忙しい学生時代ですねえ。
W:八年行ったから。
D:え? 大学ですか?
W:ぎりぎりまで行ってさ。
D:勝さんとしては、学籍はあってもすでにギャラも入るし…プロだなという意識はあったでしょう?
W:それは感じたことなかったな。
D:でもお金入って食えたでしょ?
W:食えないヨ。それほどのモンじゃないもの。ず〜っと遊びみたいなモン。
D:ぱいですけど…レコーディングに入りますよねえ。
W:あの時は辞めてるから。僕はもうアーリータイムス・ストリングス・バンドのレコーディングに入っていたから。ただ曲が足りないからってことで呼ばれて(スタジオへ)行っただけなんだよね。
D:そうかそうか、勝さんはゲスト参加になっていたんでしたね。確かにそうクレジットされていたけれど、たぶんあのアルバムが好きな人たちのなかでは、勝さんもメンバー…そんな思いというか、いや確実にそうなってますよ。だって勝さんは自分の曲で自分で歌ってるんだから。
W:うん。
D:まさかレコードの埋め曲だったとはねぇ… (笑)、あの2曲、《ぼくの倖せ》と《夜は静か 通り静か》って、勝さんの代表曲となったし、あの【センチメンタル通り】というぱいにとっての唯一アルバムを代表する名曲とも今ではなっているじゃないですか。僕も本当に好きなLPですよ。日本のロックの名盤となりましたよねえ。そこらどうですか?
W:あの2曲はオーパスの時にまとめた曲なんだ。2年先輩が作ってきた曲で、それに歌詞を付けてくれと言われたのが《ぼくの倖せ》なんだよね。
D:あれ、そうでした? レコードクレジットはどうなってましたっけ?
W:なってるよ、曲は松本圭司、2年先輩。間違ってるのもある…曲と詞が。詞が僕なんだよね。
D:松本…さんのクレジットですか。
W:もともとはかなりポップな曲だったんだ、3コードぐらいの。それをスローにして、イントロ/アウトロを付けて和音も全部変えちゃって (笑)…。
D:大元のポップな曲をすっかり変えてあのアルバムテイクにしたわけですね。先輩は驚いたでしょう?
W:う〜ん、かもね。でも少しはお金も入ったし…。この間会ったらそう言ってたよ。
D:おもしろいモンですねぇ。じゃあ、あのレコーディングの時にはこうして後々までも語られる傑作になるなんて意識は?
W:そういうのなかったね。