さてと、ピート・カーについて書いていこうか。誰って? 70年代に活躍したセッション・ギタリスト。オレ、好きでね、奴のギターが。ピートと云えばマッスルである。筋肉番付ではない。Muscle
Shoals Sound Studio なのだ。録音スタジオ。
70年代のアメリカン・ロックにどっぷり浸かったオレらのようなロック馬鹿には2つの聖地たるスタジオがある。ひとつはニューヨーク州は
Woodstock の森の中、ベアズヴィル (Bearsville) スタジオであり、もう一方の雄がこのマッスル・ショールズだ。こちらは
Alabama 州である。60年代はアトランティック・レーベルの重要な拠点となってR&Bアーティストたちの後押しに一役買った…らしいがよくは知らない。アレサ・フランクリンとか? パーシー・スレッジの“男が女を愛する時”は60年代マッスル録音の代表曲かな。まあ詳しいことはロック本で調べてくれヨ…じゃ愛想ないか。ならばとウェブを見てみたら、あったのが
Fame Studio についてのサイト。www.famestudios.com
なるほど。ナッシュヴィルの音楽シーンにいた Rick Hall がアラバマ州マッスル・ショールズでフェイムなるスタジオを始めたのが60年代の初めのようだね。ちなみに
FAME とは Florence Alabama Music Enterprise だそう。
アレサ・フランクリン、ウィルソン・ピケット、クラレンス・カーターなどの録音で知られるフェイム・スタジオ。ディープ・サウスの香り漂う名スタジオのセッションメンが暖簾分けして作ったのがマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオということのようだ。その中の1人、ギタリストの
Jimmy Johnson 。彼のサイトへもリンクが張っていた。
マッスルショールズ・スタジオは Jimmy Johnson, Roger Hawkins, David Hood and Barry
Beckett、黄金の四人衆=Muscle Shoals Rhythm Section 自身がオーナーだったとは知らなんだ。69年から始めたスタジオだそう。60年代はフェイム・スタジオの時代だったわけね。
70年代にはもうストーンズやらディランやらポール・サイモンもロッド・スチュワートも、そりゃあもう大騒ぎ。誰も彼もがマッスルショールズ・スタジオ詣で、お百度を踏むかのようにアラバマ州は北のはずれまでやって来たのさ。そこは魔法のスタジオと噂され、御利益にあやからんと溢れる老若男女、門前町と化したマッスルショールズの町にはたいそう茶屋ができたとさ。
地図を見てもらおう。アラバマ州とはいっても北のはずれもはずれ、西ゆきゃメンフィス、北に上ればナッシュヴィル、音楽で喰っていけそうなロケイションではある。Florence
が界隈では大きな街みたい。テネシー川を挟んで Sheffield, Muscle Shoals と街が並んでいるようだ。行きたいけどねぇー。行ったことなし。
今までアルバムのクレジット上で、このスタジオの所在地がシェフィールドになっていたりマッスルショールズになっていたりで、実際はどうなのかと(つまらない事に)頭を悩ませていた。が、Jimmy
Johnson のサイトによればスタジオは 3614 Jackson Highway, Muscle Shoals, Alabama
で始まり、78年にシェフィールドへと移転していたのだった、これでスッキリ。
名盤の誉れ高いBoz Scaggsの同名ファースト・ソロにはきっちりとその住所が書かれていたが、なにより同69年のシェールのアルバムはタイトルがまんま『3614
Jackson Highway』だった。(蛇足/クラプトンのカムバック・アルバム『461 Ocean Boulevard』はマイアミのクライテリア・スタジオの住所だったはず=Tom
Dowd produce )
シェールのアルバムのプロデューサーは
Jerry Wexler / Tom Dowd / Arif Mardin 。レーベルはアトランティック傘下アトコ (ATCO)。何と云ってもマッスルといえばジェリー・ウェクスラーである。トム・ダウドはマイアミのクライテリア・スタジオもよく使うし、アリフ・マーディンに至っては何処でもアリだからな。アトランティックの重役ジェリーこそマッスルの仕切り屋という印象なのである。
先日も中古盤を一枚買ってしまった。裏ジャケ表記に Produced by Jerry Wexler / Co-produced
by Jimmy Johnson とあったので買ったわけだが、案の定というかもちろんというか録音はマッスルであり、ギターはピート・カーでありました。斯様に70年代LPでジェリー・ウェクスラーがプロデュースならば大半はマッスル録音が楽しめるという寸法になっておるのよ。
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まくらが長くなってしまった。さて、主役のピートであるが、彼も Muscle Shoals Rhythm
Section の一員…。正確には準構成員といったところか。前記ジミー・ジョンソンはギタリストだがリード・プレイを弾くことなし、渋〜いリズム・ギタリスト。となると全体に渋目なマッスル・セッションといえどもリード・プレイヤーは必要。数人の名前あり。70年代中頃まではエディ・ヒントン
Eddie Hinton が一番多かったかな。ウェイン・パーキンス Wayne Perkins もいる。しかし、一番多いのがこのピート・カーというわけだ。
(蛇足/ウェインは意外なところで活躍。Bob Marley & The Wailers の出世作『Catch A Fire』、ロンドン録音。 ストーンズ『Black
& Blue』でのトロント・セッションにも参加。中でも "Hand of Fate" におけるつっかかるようなプレイはマイ・フェイヴァリット)
上記ボズとシェールのアルバムは69年の録音。ここにはピート・カーはいないはず。ピートがマッスルで活躍し出すのは71年かららしい。このアルバムではジミー・ジョンソンとエディ・ヒントンがギターだろう。
72年以降のマッスル録音物に圧倒的にクレジットされているのはジミー・ジョンソンとピート・カーとなる。大抵は Rhythm Guitar
: Jimmy Johnson / Lead Guitar : Pete Carr 。けれどね、オレ、ピート・カー好きといいながら分からんのよ。聴こえているギターがジミーが弾いているのかピートなのかと迷うくらいに、リードらしいプレイをしていないアルバムも事実多い。ピート・カー本人が読んだら(日本語はダメだろうが)怒りそうなサイトだねこりゃ。が、事実だからしょうがない。
ピートに行く前にご本尊、Muscle Shoals Rhythm Section について。
ストーンズのようにバンドでやってくる場合は別として、ソロ・パフォーマーがわざわざマッスルくんだりまで出向いてくる理由はスタジオの雰囲気や機材/ミキシングの優秀さなどもあろうが、やはりリズム隊を使いたいというのが一番ではなかったか。ベース:デヴィッド・フッド
David Hood/ドラム:ロジャー・ホーキンス Roger Hawkins 、この二人がまずマッスル・ショールズと云われれば誰もが思い出す名コンビだ。事実、スティーヴィー・ウィンウッドはこのリズム隊があまりに気に入ったため、一時期自分のバンド、トラフィックに正式メンバーとして二人を雇ってしまったくらい。
次に挙がるのがキーボード担当のバリー・ベケット Barry Beckett 。この人も重要人物、プロデュースを担当することも多し。実務担当リズム隊がロジャー&デヴィッドで、もちろん演奏もこなすが、プロデュースの多いバリー・ベケット&ジミー・ジョンソンが管理部門といった印象なんだよなぁ。
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ピートのセカンド・ソロ『Multiple Flash』のライナーノーツによると、生まれはフロリダ州デイトナ、かなり早い時期にグレッグ/デュアン・オールマン兄弟に会ったとある。ピート10代だろうな、兄弟もたぶん。なにしろオールマン兄弟がメジャー・デビューを飾ったロサンゼルスでのバンド=アワーグラス
Hour Glass にピートは参加しているんだ。それは後述。
アワーグラス解散( '68)後、ピートはフロリダに戻りセッション稼業に。ご存じのようにデュアン・オールマンもセッション・ギタリストとして名を成してくるのもこの頃。上記ボズ・スキャッグスのアルバムではデュアン一世一代の名演奏が収録曲
"Loan Me A Dime" で聴けることでも有名。これが69年だから、デュアンはピートよりも先にマッスル・ショールズのスタジオ・ミュージシャンになっていたわけだ。
Duane Allman、ウィルソン・ピケットから "Skydog" のニックネームをもらい、70年デレク&ドミノズ『いとしのレイラ』に参加はロック・ファンにはお馴染み。その後オールマン兄弟は機が熟したと再度バンドを計画。そこにセカンド・ギタリストとしてピートに声を掛ける。が、ピートはそれを断りセッション稼業を続行。ピートに替わって声を掛けられたのがディッキー・ベッツというわけ。
となると、ピートが71年からマッスル・ショールズ入りしたのはデュアンが The Allman Brothers Band を旗揚げしてセッションから離れたため、その後がまとして(デュアンの口ききだろう)参加と見るのが妥当な線だ。
アルバムのライナーには参加セッションとして Willie Nelson, Hank Williams Jr. , Bobby
Womack, Millie Jackson, Wilson Pickett, Cat Stevens, Paul Anka,
Mac Davis and dozens more.....
カントリー・テイスト、R&B、シンガー・ソングライターと多岐に渡るが、ありゃりゃ、オレ、一枚も持ってないよ、この人たちのマッスル録音LPは! まあのんびり捜してゆきましょうか。
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<ピートのギターに関して>
ジミー・ジョンソンのサイトのタイトルは "Jimmy Johnson Original Swamper"。「スワンパー」なる言葉はリオン・ラッセルが作り、レーナード・スキナードが
"Sweet Home Alabama" で確固たるものにしたとサイトにある。74年のスキナードのセカンド『Second
Helping』に収録されたこの大ヒット、ニール・ヤングが歌った "Alabama" に対するアンサー・ソング。南部の保守性をたたいたニールに対し、「ちょいと待った! 実際の南部をよく知らずに勝手なことを歌われちゃあかなわんゾ」と。(「Muscle
Shoals' got swampers...」と歌詞があるのに、手持ち日本盤の歌詞カードには Muscle Shoals が
Dr. Shultz になっている!アホか)
ディープ・サウスの濃縮エキスを音にするスワンパー達といった印象だが、実際はマッスル録音、そんなにねばっこくないんだよね。とりわけピートのギターは思いの外“軽くてマイルド”。
ピートのギターはバックに徹して目立たない。セッション・ギタリストの中にはエリオット・ランドールやエイモス・ギャレットのように個性の強い者もいるがピートはその類ではない。けれども時たまハッとするいいギターを弾くんだ、これが。ほんとに時たまだから困る。クレジットがあるからと期待して買って何回ハズしたことやら。この先一応手持ちのピート参加アルバムを紹介していくがギター的観点からは大したことがない盤もとりあげることとする。アルバム発売順序を追って行くのは不可能なのでかなりごちゃごちゃと前後することを始めに記しておく。
各アルバムには以下の評価を(勝手ながら)付けてゆく。
●Pete Carr/guitar 的見地からの評価は三段階とする[ピート度]
A:イケるソロ/オブリガートを堪能(その曲が1〜2曲の場合も含む)
B:かなりピートのギターが聴ける
C:聴こえるがたいしたもんじゃなし/いったいどこで弾いているやら…
●[アルバム評価]ギターに関係なく、あくまでアルバムとしての評価は星で
★★★★★ >文句無し!最高!!
★★★★ >半年に一回は必ず聴くべし
★★★ >持っていても悪くない
★★ >処分するもよし
★ >即刻捨てるべし
<楽器とフレーズについてもちょいと>
ページ頭の写真は『Multiple Flash』の裏ジャケから、78年。ちらっと見えるギターは B. C. Rich だね。
『Multiple Flash』に先がける彼のファースト・アルバムというのが『Not A Word On It』というタイトルのLP。これは20数年前に、原宿にあったレコード屋(さすらいのレコード・ハンター、飯田充さんが店長だった)「メロディー・ハウス」で一度だけ見た記憶あり。それから今までまったく目にしてない! その裏ジャケではピートはブラックボディの
Gibson Les Paul(3ピック・アップ)を持っていたような…。
ピートの映像というと、これまた一度きり。81年サイモンとガーファンクルは一時的に再結成ツアーをした。NYはセントラルパークでのライヴはLPにもなり、映像もビデオ/レーザーで発売されたと思う。このライヴでのバック・ミュージシャン、スティーヴ・ガッドやリチャード・ティーなどのNYのトップセッションメンにまじってピートがギターを弾いているのだよね。ビデオなら今でも入手可能かもしれないなぁ、捜すか。ま、当時TVでチラっとは見ました。ガッドのドラムセットの前で座って弾いていた彼が手にしていたのはゴールドトップのやはりGibson
Les Paul だった。
ギブソンにBCリッチ、この人はフェンダー系シングルコイルのピックアップは合わない、ハムバッカーピックアップのギターということになるんだろう。
音色の特徴はノイズが無くクリアー、“丸い”。歪ませない(たまに軽く歪み系エフェクタも使うが)。フレーズでいえば、ベンド(チョーキング)が少ない。三連符を多用。1・2弦
ダブル(五度まま)で3フレット分ぐらいを行き来する指スライド(うまく説明できてない…)。
奇しくもディッキー・ベッツと音/フレーズが近い感じあり。そのままオールマン・ブラザーズに参加していたら同じようなポジションをキープしていたかな。最近のディッキーの使用ギターは、サンタナが有名にした
Paul Reed Smith 。ここ十数年のピートがどうしているか知らないが今でもギターを弾いているならこのギターを使っているかもしれない。
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さてと、ぼちぼちピートの参加アルバムを追って行こう。が、その前にこの一枚。80年のジョニー・リヴァーズ『Borrowed
Time』は全曲マッスル録音の佳作。そのライナーでのジョニーのお言葉:
「今までは必ず数曲はロスで録音してきたが、このアルバムはロス以外で全曲録音した始めてのアルバムさ。(略)…アラバマのミュージシャンは素晴らしい、彼らはいつも4〜5人は一緒にセッションメンとしてプレイしているから、とてもタイトでハート・ウォームなサウンドを作ってくれる。多くの人達がこのマッスルショールズでレコーディングしているのは、ここはとてもリラックスできて、まるで家にいるかのようだからだと思うよ」
ミュージシャンサイドから聞けたマッスルの感想、なるほどなと思うでしょ。
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#001
"Johnny Rivers/Borrowed Time"
['80 RSO Records/Japan]
<ピート度 …:★★★★>
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邦題『ロマンス』。ジョニー38才、円熟味溢れる歌声がマッスル録音にマッチしたなかなかよい出来。惜しまれるのはピート・カーの不参加。メロディアスな佳曲多し、ピートのギターがばっちりハマったと思うのだが。
リズム隊は Hood/Hawkins コンビ。特にロジャー・ホーキンズのドラムがいつも以上にいい味出している。ギター、ジミー・ジョンソンの参加は2曲のみ。
Moon Martin が2曲書き下ろし、共作も含め4曲が Michael Geogiades による(この人は、元イーグルスのバーニー・リードンと双頭アルバムを出したギタリストか)。パンクからニュー・ウェイヴ、パワー・ポップの時代となってそれらしい曲もあるが、全編の印象はミディアム・テンポ=メロディー重視。マッスルらしい落ち着きある音、悪くない。
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まずはやはりここから。ピートにとっては初録音では。アワーグラスの2nd LP『Power of Love』。67年に出したファースト『Hour
Glass』でのベーシスト、Mabron McKinney に代わって参加したのがオールマン兄弟の旧友 Jesse Willard
Carr であります。このジェシ・ウィラードこそピート・カー。一応ベースとギター担当とライナーにはあるが、ギターはほぼオールマン兄弟でこなしている風。よってピート的には単なる記録の一枚。
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#002
"Hour Glass / Power of Love"
['68 Liberty Records/US (CD)]
<ピート度?:★★★>
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お仕着せのユニフォーム、心外なポップ路線とオールマン兄弟にとって失意のメジャー・デビュー…などと聞きますが、(一枚目未聴)この2枚目はかなりいけますぜ。グレッグのオリジナル曲だって全12曲中7曲あるし。エディ・ヒントンとマーリン・グリーンによる2曲、トップを飾るタイトル・ナンバー
"Power of Love" はダン・ペン=スプーナー・オールダム作とメンフィス/マッスル色はいっぱい。
グレッグの声も後とさほど変わらず、無理をしている風でなし。時代が悪かっただけじゃないの。"ノルウェーの森"
をやらされているところはまあ同情いたしますが。
タイトル曲はポップでいいけどなあ。他曲が粒揃っていたらそこそこ売れたと思うが…ポップ・バンドで売れては気に入らなかったのか?、グレッグ&デュアン。 でもそれならなんでロスまで出てきたの?
オリジナル・ジャケ裏のライナーはなんとニール・ヤングがバッファローのメンバーとして書いております。「いやー、ウィイスキー・ア・ゴーゴーでやつらを始めて見て、気に入っちまったよー。フィルモアでも一緒に演ったのさ〜…」
オールマン兄弟/ピート以外のメンバーはのちにキャプリコーン・レーベルの重要な裏方となるジョニー・サンドリン Johnny Sandlin
とポール・ホーンズビー Paul Hornsby のふたり。
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「まるで家にいるかのようだから…」のジョニーの言葉で思い出したのが、その名も『終(つい)の住み家』とタイトルされたウェイン・ベリーのLP。マッスル録音曲も含む。
これは良かった。最近BMGからCDが出たよね。75年、日本盤をオレは買いました。
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#003
"Wayne Berry / Home at Last"
['75 RCA/Japan]
<B:★★★★>
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何を隠そうオレが最初にピートに注目した、というより知ったのがこのアルバム。けれど、買った日本盤にはピート・カート
Pete Cart となっていたというお粗末。なぜか? 後日判明、米盤のクレジットでは Carr のあとに詳細別記のためのダガー・マークが付いていた。これが
t に見えるわ、たしかに。それ見て写植打ったんだね。
マッスル・ショールズをこの時点で知っていたかどうか。買ったわけはバックの豪華さ。録音がロス/ナッシュヴィル/マッスルの三ヶ所。ロスでは
Jim Gordon (dr.), Jeff Baxter (gt.), Jesse Ed Davis (gt.), David
Paich (key.), コーラスに Jackson Browne, Ned Doheny などなど。ナッシュヴィルでのバックはエリアコード615の面々。
このウェイン、ソロ前のバンド=ティンバーTimber
でLP2枚出している。内エレクトラからのアルバムは聴いていた。それも悪くなかったが、このソロは期待以上の出来、全10曲まことに粒揃い。三ヶ所での録音がそれぞれの持ち味を出している。ロスではソリッドに、ナッシュヴィルではカントリー味、マッスルではレイドバックだが一本筋が通った音。
ピート参加/マッスル曲は "Another's Lifetime", "Snowbound",
"Dixie's Pride" の3曲。"Another's ... " にはお隣メンフィスからレジー・ヤングもギターで参加。が、レジーらしいプレイは聴かれない。ピートがリード、まあまあ。
オレが最初に好きになった、ピートおっかけの出発となったのが "Snowbound" でのギターなのだ。硬くサスティンの効いていない音色だが、メジャー・ペンタで、とりわけフェイドアウトにかけての少しトリッキーなプレイに強く引かれたんだよね。こりゃあいける!とその後はピートの名前に注意するようになったのさ。
才能あるソングライターだったのに、このソロの後にアリスタから
Volunteers なる四人バンドでアルバムを出したら、これが箸にも棒にもかからないクズだった…、惜しい人を…(今は何をしてるやら)
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ピート・カーを紐解くには貴重な資料か、“リヴ”ことリヴィングストン・テイラーのファースト。あのジェームス・テイラーの弟が70年に出したLP。ピートがマッスル入りするのが71年、つまりマッスル前のセッションというわけですな。もちろん他にもセッションはこなしているだろうが、手持ちは今の所この1枚のみ。ピートのギターLPとしては最初期。
パーソネルとしてはリヴのヴォーカル/ギターのほかは、全曲四人でバック。Pete Carr (gt.), Paul Hornsby
(key.), Robert Popwell (bass), Johnny Sandlin (dr.) 、そーなんです、3人は後期アワーグラスのメンバーというわけ。のちにはキャプリコーン・レコードでのプロデュース、ミキシング等裏方(重役か?)に回ったホーンズビー&サンドリンが、現役プレイヤーとして活躍。
録音はジョージア州メイコンはコットン・アヴェニューにあった Capricorn Studio にて。故オーティス・レディングのジャーマネだったフィル・ウォルデンがジェリー・ウェクスラーの協力のもとに立ち上げたキャプリコーン・レコーズだが、アトコからの配給は最初期のみだろう、そんな一枚、
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#004
"Livingston Taylor"
['70 Capricorn-ATCO/US]
<C:★★★>
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まずはピートのギター・プレイ。はっきり聴き取れるのは "Six days on the
road", "Carolina day" の2曲のみ。マール・ハガード作 "White
Line Fever" と並び、あまたのカバーで知られるロード/ツアー・ソング= "Six days .."
ではきばって弾きまくるピートだがやはりまだ“青い”。凡庸なプレイはさして注目に値するものではなし。
アルバム的には…まあリヴの立ち位置だがね。リヴって、どうだろう? やっぱり兄貴ジェームスと比較されたよね。誰の耳でも似てるよなぁ、すごく。偉大なる兄貴のフォロワー…。しかし、通仲間には分数コード・アルペジョのギターワークはリヴが作り上げたものであり、その才能は決してジェームスにひけをとらないとファンも多し。確かリンダ・ロンシュタットの初来日公演でのオープニング・アクトとして、武道館で、リヴが歌ったと記憶。
このLP、歌/曲/ギターよし。なのになぜこうもあっさり流れてしまうのやら。リヴの不幸は Peter Asher / Danny
Kootch に匹敵するサポーターがいなかったことかもなぁ。この時点でのピートでは残念ながら役不足。
"Hush-a-bye" "Lost in the love of you" の2曲が特に好き。手放せないLPなんだよね、個人的には。
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